ディックのサイトです。
容易 こちら 特徴 自信 会員 成り 健康 コミュニティ 生徒 改造 返済 厳しく 通り魔 お父さん 全体 件数 合格 発表 閲覧 変更 中国 機構 抑え に関する リニューアル 状況 撤退 配分 いたし

匿名とは?/ ディック

[ 403] はてな匿名ダイアリー
[引用サイト]  http://anond.hatelabo.jp/

まぁ、こうやって捻くれて人々から見放されているから敵対しましょうとかいうのは少数派だよね。だって、いじめられっ子だった僕が唯一良かったと思う点はそれが世界のデフォルトだと早く気付けたとこだもん。世の中の人はそんなに自分の周りの人間のことを「人間」としてなんて見てないよね。動物としてのヒトって感じでみてる。なんか話したり笑ったり喧嘩売ったりしてくる動物ね。犬のことを「家族だ」とかって親愛の情を持って接するのって飼い主だけじゃん。そういう限定的なもんなんだよ、「人間」って。価値観なり文化なりが同じで話が通じてとか、そういう非常に限られた濃密なコミュニケーションをとれる相手、もしくは「とれそうな」相手しか「人間」としてみない。自分とそれ以外のヒトとの距離感とかタイミングとか相性とか。そういうものが、限られた時間的、限られた空間的で、「ヒト」を「人間」にする。寄ってきたら殺すという目?自意識過剰だよね。別に殺すもなにも、大半の人間は君のことなんてどうでもいいと思ってるよ。殺すなんて能動的なことするなんて面倒じゃないか。そして、それは別に君だけのことじゃなくて、ほとんどの人間に対してそう思ってるよきっと。
だからこそ、みんな自分を「人間」だと認識してくれる相手を探しているんじゃないのか?家族とか恋人とか友人とか。ほぼ永続的に自分のことを「人間」と見なしてくれるような「人間」を見つけたいとか、そういう集団に所属したいとか。誰も見てくれないとか、見捨てられているとか、本当、そういうのが世界のデフォルトだと思うね。だから、そうじゃないものを手に入れようと必死な人か、半ばあきらめちゃってる人かどっちかだ。なのに世間とか学校とか文科省とかいじめっ子とかクラスメイトとか、そういうもんに憎しみを抱くヤツはよっぽど・・・げふんげふん。
大体、親が嫌いなんだよね。親の対応はまずいかもしれないが、自分を人間だとみなしてくれる数少ない人間なのにね。あの?ありえるわけ?自分の周りの人間の全てが君のことを価値があると賞賛するような状況が。無いよ。木村拓哉にだってアインシュタインにだってないね。ありえないね。じゃあ、考えてみようか、君、誰に人間として認められたいわけ?親じゃないんだよね?無能だから。文科省じゃないよね?無能だから。なんかよく分からないけど具体的じゃなくて「素晴らしい人」に「あなたは素晴らしい」と言って欲しいんだけど、そんな人はいなくてそもそも自分はクソだからもし居たとしても言って貰えないだろうから夢が潰れました、ああ、夢が潰れました。
人から好きだと言われたいが、それは自分が認めた人間じゃなくちゃ駄目で、自分が認めるような人間の基準は物語のヒーローヒロインクラスの神々しさじゃなきゃ駄目で、しかも、そういう人が具体的にいるわけじゃないけど、とにかくそういう人から好きだと言われないから自分や世間や偽善者死ね?
オタクなんだけどオタク仲間すら居ないっていう状況だと、楽しそうなオタクは非オタクよりも憎い存在になる。オタクのくせになに楽しそうに和気藹々とやってるんだよ、とか。オタクのくせに彼女つくりやがって、とか。俺はオタクだからこんなに皆から忌み嫌われているのにお前ら何楽しそうにオタクやってんだよ、とか。
単純には単年あたり損失がそれまでの経過時間nに対応してlogか何かで減衰していくようにすればいいかも。
全く悪気はないんだろうが、文字通り決死の覚悟で行動してた人間を見て、「人間模様がすごい!」「生きる勇気がわいた!」とか言うのはなぁ。。。全くもって他人の勝手なんだが、テレビドラマなんかとくらべんのも、感動話の1つになるのも、なんか釈然としない。誰かこの気持ちをうまく代弁してくれまいか。
行政の予算とかはそれでいいけど、個人の場合はパラメータに寿命が入るんじゃないかな。100年間隔だと遭遇しない可能性にかけちゃう人が結構出そう。
すごい良いこと言ってるだけなのに、タイトルに電車男って入ってるだけで見下して嘲笑してるように見えるから不思議。
ごく一部でもこういうすばらしい人たちが世の中にいる。それをまざまざと見せつけられて生きる勇気がわいてきたよ。現場にいたわけじゃないけど、人間模様がすごかったよね。TVドラマより断然感動的。必死に救助にあたる人、カメラを構える人、ただ無関心に通り過ぎるだけの人、ここぞとばかりにTVカメラに愛想を振りまく人・・・ ちなみに自分は、交通事故を目撃した際には何もせずボーッとただ見てるだけの人でありました。ここでパッと反射的に行動に移れる人って何が違うんだろうなぁー。練習する機会なんてないでしょ。
人工的なモノやサービスが、存在するのが前提になりすぎてる、というか。ハードルが上がってるというか。
天災人災って言うけど、例えば大地震が起きて、地面が揺れること自体で死ぬってことは無いわけで。せいぜい、たまたま崖の下にいたら崩落して土砂に埋まって、とかがあるくらいか。
建物とか移動手段とか道具とかが壊れたり崩れたりして、それに依存してる各種の人工的なモノやサービスとかが使えなくなって、傷負ったり死んだりするわけで。
つか中国の地震で学校が崩れて子供が大勢亡くなったのは、100年に1回の地震のために予算をかけられなかったのではなく、その予算を抜いた役人がいたからだよね。
前の大地震から経過した時間を考えると、それが無駄なことだとは思わないな。やらなきゃやらないで文句言う人が多いんだろうし。
「関係ない」のとは違う。「別問題」だ。社会的に不公正なものは不公正な格差だ。これは同語反復だから当然だ。しかし、本当に不公正な問題が見過ごされているために「問題視」されていない場合もある。わかったか?
いやこっちがわけがわからん。不公正かどうかの基準がさっぱりわからない。社会的な要因か自然かは関係ないし、問題視する人が多いかどうかも関係ないんだよね?じゃあ一体どういう基準?
違う。社会的な要因によって生じた理不尽が「不公正」だ。ただしここでの要因は「不作為」も含む。それがさっきから言っていることだ。
同胞愛と社会的責任を区別する必要性がわからない。好意や同胞愛があるからこそ社会的責任を果たすんじゃないの?
そういう意味じゃない。「やらなければ悪いこと」と「やればよいこと」の違いの話をしている。手に入れた金を、借金を返すのに使うことと貯金を作るのに使うことは違うだろという話だ。確かに「金を使う」という意味では同じことだが。
だからそういっているだろうが。「無論、必要な配慮を欠くことは同時に社会的格差を不作為によって助長していることにもなる」と何のために書いたと思っているんだ。
定義をはっきりさせて論理的にしようとしてるのを揚げ足取りとレッテルをはってたらへ理屈ばかりになる。
本筋における語の解釈で揉めているならいざ知らず、比喩の部分や例示の部分の定義を問うのはどう考えても揚げ足取りだ。スカート云々なんていう、俺が出したわけでもない例を追及されても困るのだが。
「ここでの「自然」の意味は「性差以外の条件が同等であれば、女性が知的職業を指向する傾向が男性に比べて弱い」ということを指す。」と前は書いてたのに微妙に自然の定義をずらしてないか?性別で傾向に差があろうと本人の意思が向かう方向が自然と言うこと?
そりゃそうだ。あんたが「個人の意志を尊重しろ」と言っていることまで否定してるわけじゃないんだよ。若者が大食いで老人が小食であることを問題にする理由なんてどこにもないだろう。しかし同年齢層の金持ちと貧乏人の摂取カロリーに極端な差があれば問題にすべきだ。それは当たり前のことだろう。
性差だけでなく個体差というものは色々あって、納豆が好きな人間も嫌いな人間もいる。ただ、個人の行動は本人の嗜好や希望だけでなく外部の条件もあって決まるものだから、行動という結果だけを見て「これは全て個人の希望だから問題がない」と言ってしまうのは誤りだと言っているのだ。
「社会的に問題視されることが少ないから」と書いたことについては、お前が挙げたスカートの例が乱暴なところがあると思ったからお前の論法を要約する際に弱い語を使った結果であって、お前の論法の瑕疵に起因するものだぞ。大食いの例ならまず生物学的要因で間違いなかろうが、スカートの一件はたとえばスコットランドの民族衣装では男もスカートを履くわけで、それが不公正であるかないかというところにはまだ議論の余地がないわけではない。
それなら最初から進学は是正すべきだがスカートはそうじゃないかのように言うのは論理的におかしいだろう?
わけがわからん。不公正を解決するためにはもう一つ別の不公正を作ることが必須だというのか?確かにアファーマティブ・アクションという手法がないわけではないが、不公正を別の不公正で埋め合わせるというのがないに越したことがないのは当然だろう。どっちにしても俺の主張は「不公正があることを認めろ」というものであり、その解決方法までは論題に入っていない。何度言わせる気だ。
いやこっちがわけがわからん。不公正かどうかの基準がさっぱりわからない。社会的な要因か自然かは関係ないし、問題視する人が多いかどうかも関係ないんだよね?じゃあ一体どういう基準?
違う。社会的要因の不公正は、社会の側にそれを修正する責任があるはず。一方で、自然的要因のものにたいして社会が配慮をするのは好意とか同胞愛とか呼ぶべきものだ。無論、必要な配慮を欠くことは同時に社会的格差を不作為によって助長していることにもなるわけだ。そもそも「不公正」という言葉には「社会的要因」の含意があるだろうに。
同胞愛と社会的責任を区別する必要性がわからない。好意や同胞愛があるからこそ社会的責任を果たすんじゃないの?
自然災害なら社会に責任はないともいえないだろ。どんな天災でも人災的側面だってあるわけだし。社会だって生物である人間が構成する以上自然と皆伝とか遺伝から逃れられるはずもない。
それから、お前はひたすら挙げ足を取り続けているわけだが、元々俺が「自然的要因」の言葉を使ったのは「本人の意志の向かう方向」の話であって、本人の意に反するであろう経済的困窮を持ち出すことは明らかに問題のすり替えだ。
定義をはっきりさせて論理的にしようとしてるのを揚げ足取りとレッテルをはってたらへ理屈ばかりになる。
それに「ここでの「自然」の意味は「性差以外の条件が同等であれば、女性が知的職業を指向する傾向が男性に比べて弱い」ということを指す。」と前は書いてたのに微妙に自然の定義をずらしてないか?性別で傾向に差があろうと本人の意思が向かう方向が自然と言うこと?
うん。最近そういうのを強く感じるんだよね。結局のところ、良くも悪くもマスコミが注目していることにしか興味ないじゃんって。
ただ、バラエティではないけど、勢いよくドアを開けると小麦粉一面の世界が、、、ということもあるが、

 

[ 404] ITmediaニュース:「ネットに匿名性は不可欠」――総務省
[引用サイト]  http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0507/01/news059.html

「総務省がネットの匿名性を排除しようとしている」――ある報道を発端に批判が広がった。総務省は、ネットの実名性を高める必要はあるとしながらも、匿名性を排除するつもりは全くない、と弁明する。
「ネットの匿名性を排除すべき、とは言っていないのだが」――総務省情報通信政策課の内藤茂雄課長補佐は、一部報道をきっかけにブログ界で盛り上がった「政府がネット利用の実名化を推進しようとしている」という議論に頭を抱えた。
報道は、共同通信が6月27日付けで配信した「実名でのネット活用促す 総務省『悪の温床』化防止」。「有害情報の温床」ともいわれるインターネットを健全に利用するために、総務省が匿名性を排除して実名利用を促す取り組みに乗り出すとし、匿名性が低いブログやソーシャルネットワーキングサイト(SNS)を小中学校の教育で活用するよう求めていく──と伝えた。
「報道は、誤りではない」と内藤補佐は話す。ただ、実名性の向上と匿名性の排除をイコール視し、総務省がネットの匿名を排除しようとしているととらえられていることに驚いたという。
「研究会の構成員全員が、ネットに匿名性は不可欠と思っている」と内藤補佐は強調する。匿名を利用し、現実社会の立場に左右されずに自由に振舞ったり、本音で語り合ったりできる場としてネットは重要。内部告発のように、匿名だからこそ公開できる情報もある。
ただ、匿名による無責任な発言がネットの信頼性を損ね、ネットの良さまで覆い隠してしまっている部分があるのは否めない。「私を含め、『ネットはジャングルだ』というイメージの人は多いのではないか」と内藤補佐は話し、匿名の発言が大多数のままでは、「ネットは怖い」というイメージが定着してしまうと心配する。
ネットを、実社会と同様の感覚で自然に使ってもらうことが、総務省としての目標。実名やハンドルネームを使った利用がもう少し浸透すれば、ネット社会のモラルが向上して安心感が高まり、ネット利用が活発化するだろうと期待する。
ネットの安心感を高めるための具体策の1つとして、研究会で挙がったのが、学校でのSNSやブログ活用だ。校内LAN限定のセキュアな環境で、実名やハンドル名ベースで交流してもらうという提案。発言に責任を持たせつつ、身近な人と交流する中で、ネットへの抵抗感を薄れさせたいという考えだ。ネット上でのプライバシー侵害など、個人情報保護への考え方も同時に学ばせたいとしている。
私たちは、今後の教育現場における取組に期待したい。学校とは人と人の間のコミュニケーション手法を学び、他人と交流する能力を養う場でもある。ICTを活用したコミュニケーション能力は学校で学ぶことが望ましい。いわゆる情報検索・探索技術やネットを介した互学互習のやり方の習得といったことに加え、ICTにより実現されるバーチャルな環境を、現実社会と同じ感覚で活用すること、すなわち、サイバースペース上で実名又は特定の仮名で他人と安全に交流することを自然の術として身につけるための教育が必要である。
具体的には、ブログやSNSの仕組みを学校に導入することを提案する。学校の中でセキュアなネットワークを整備した上で、児童・生徒が自らのアカウントを持ち実名でブログやSNSを用いて他の児童・生徒と交流することでネットワークへの親近感を養うとともに、ネット上での誹謗中傷やプライバシー侵害等に対する実地的な安全の守り方も同時並行的に学ぶことが重要である。
報告書の中で、ネットの実名利用について触れたのはこの1カ所だけ。報道されたような「ネットの実名化を推進する」「ネットの“悪の温床”化を防ぐ」といった内容の記述はなかった。
報告書は、さまざまなITサービスが一元管理から分散管理に移行するなかで、ITをどのように活用すれば経済・社会を活性化できるかといった視点でまとめたものだ。P2PやWebサービス、セマンティックWeb、オフショアリング開発の可能性などについても言及している。「役所にしてはリベラルな報告書ができたと自負していたが、まるで実名化やブログ利用を推進する報告書のようにとらえられてしまった」と内藤補佐は話す。
ブログや掲示板を通じて急速に広がった誤解だが、逆にブログをきっかけに議論の軌道修正がなされるという動きもあった。ある個人ブログが「報告書を読まずに批判するのも、賛成するのもリスクのある行為」だと指摘。報告書をHTMLに変換して自身のサイト上に掲載し、報告書について言及したブログにトラックバックを張って回ったのだ。
トラックバックを受けたブロガーの多くは、報告書を読んだ上で再度意見を表明し、ネット上の議論の爆発は終息しつつあるようだ。「一次資料を読まずに批判・賛成するリスク」──図らずも、研究会が考えるネットリテラシーの深化を一連の騒動が促した面もあったのかもしれない。
“官製SNS”で地域コミュニティー復活 行政スリム化も総務省が地域SNSの実証実験を始める。SNSで住民同士の交流を深めてもらい、地域の活性化や行政スリム化につなげるねらいだ。
「せんとくん」「まんとくん」も、2次創作されている「せんとくん」の対抗馬が「まんとくん」に決まった先週。ネット上には、せんとくんやまんとくんの絵がたくさん公開されている。

 

戻る

ディックのサイトです。

ディックのサイトです。