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[ 604] アブノーマライゼーションへの道(by こうもり)/ウェブリブログ
[引用サイト]  http://uramonken.at.webry.info/

2008年4月6日より、弊ブログはテーマを絞り込みリニューアル(脱線あるいは転落とも言う)していくことになりました。今までは障害何でも雑学コーナーと化していましたが、これからは自分のテーマに専念していくことにします。また、これまでは時々扱っていた支援に対する提言も今後は一切行いません。今後扱うことになりそうなテーマおよびキーワードは以下の通り
フランス革命政府がひとたび権力を握ると、それまでキリスト教などが担っていた教育に関する権限を一気に政府が掌握しようとした。キリスト教に代わる新しい時代の規範(社会,精神諸科学。今で言う公民分野)を国民教育で教えようとしたのもその一貫であるし、前回話題になった共和暦の採用もその一環であろう。現在のように政府がラジオ,テレビ,インターネットなどを通じてプロパガンダ(宣伝戦略)を展開することができる時代ならばそんなことをする必要はなかったかもしれない。しかし、それがなかった時代には「神の祝日」に代わっ...
国民教育論が公教育論から細胞分裂するように派生して誕生してきたことが明らかになった。両者とも全ての人に教育の権利を与えるとともに、教育の管轄下に置こうとしている点では共通している。両者の異なる点は
公教育の理念と方向性はフランス革命期、コンドルセによっていちおうの完成を見た。その後の民主主義を標榜する社会では障害児に対する教育についてのものを含めて様々な理念が提示されてきたが、基本的にはコンドルセ案に沿った理念と言っても過言ではないだろう。それは、公教育が民主主義を標榜する社会の教育と一見矛盾しないものに変貌していく過程でもあった。その過程で公教育こそ新しい社会にはそぐわないとするルソーの観点は忘れられていくことになる。
(このブログを読んでいる数少ない読者の皆様へ。本日は内容が長くなってしまったため、内容を2つに分けて投稿しています。このコメントはそのうちの後半部分にあたります。SNSからブログにジャンプして読んでいる場合、同じ日にニ連続投稿すると、後半部分しかSNSには記録されない可能性があります。前半部分から読まないと内容がつながってこないので、必ず前半部分からお読みになるようにお願いいたします。)
1791年のコンドルセ案以降、それまでどちらかと言えば国家主義的な教育とみなされていた公教育は民主主義的な意味づけと装いをして再び教育論の世界に復活した。しかし、それが公権力によって実現するものである以上、教育に政治的介入をもたらすことは避けられないように思える。そこで、コンドルセは政治,宗教からの教育の独立を主張したのだが、具体的にはどのように実現しようとしたのだろうか?ここから話を再開しよう。
こうもり@悪戦苦闘の末、やっとネットの引越しが完了したぜです。で、引っ越したのを期にブログの方針を修正しました。(最近、本文が進まずにこればかりやっておるな)おおまかな変更点はトップページの紹介文にある通りなので、ここでは補足だけをしておきませう。
地域社会,家族を子どもの堕落,頽廃から「守る」ために25歳まで農村で教師によって教育をさせること。これがルソーの私教育論であった。現在の公教育も子どもを学校という施設に集団隔離し、そこで学校で決められたカリキュラムに沿って教育することを主張する。しかし、同時に家庭教育,地域の力を重視し、それらと連携しながら教育を推進していこうとする意味では、
(しばらく、職場環境の激変・自助グループ関連のトラブル処理などがあり、第2空間のコメントを書ける状態にありませんでした。とりあえず、ペースはかなり落とすものの再開します。)
なんか仕事移行期で頭がぐるぐるしてしまい、話がなかなか進まずすみませぬ。それはさておき、自閉症を治療したいという人には吉報、自閉とともに生きたいと願う当事者にとっては凶報です(わたしにとっては凶報だった)。以下の時事通信社の記事をごらんください。

 

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