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過度とは?/ プロミス

[ 348] FPN-ブログに過度な理論武装を求めるな。
[引用サイト]  http://www.future-planning.net/x/modules/news/article.php?storyid=2934

自身のサイトのブログで恐縮ですが、先日書いたこちらのブログには、様々なサイトでご意見を頂きました。参)上記ブログの趣旨・(出会いの)「場」を(結果的に)提供している企業、というだけで(DeNAを)悪く言うのは違うでしょ。・DeNAは頑張っている企業だと思う。・価値を創造したモノの負の側面だけあげて批判するのはナンセンス。正の側面も考慮した上で、賛否を表すべき。そのことから感じた結論から申し上げますと、「ネットで意見を述べ、コメントを寄せる方は、世の中で報じられている(と僕が感じる)ほど“悪意”に満ちた人は少なく、意見する姿勢、判断する姿勢に頷ける方が(世間平均よりも)多いと思うなぁ」ということです。(以前からもそう思ってはいるものの)このブログの内容が取り上げられたサイトの1つに、ニューシングがあります。そこに寄せられた意見を引用して紹介します。==========確かに目くじら立てて事件を上げて鬼の首を取ったかのように責めるのはどうかという点には賛成。でも、車だって事故を起こさない為の対策としてブレーキや安全対策をやってるでしょ?モバゲーは予見されるリスクに対する対応が今まではユーザを信じてなのか、放置なのか分からないけどユーザの倫理観やマナーというアナログな部分に頼ってたというのはあの規模のサイトにしては認識がオオアマだったんじゃね?って思うっす。 ==========僕のブログの内容と比較して、「意見が正反対だ!」「対立している!」と思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、当の本人である僕自身は、「あ、この方、僕と姿勢が同じだな」と感じるんです。ブログで一番伝えたかったのは“確かに目くじら立てて事件を上げて鬼の首を取ったかのように責めるのはどうかという点には賛成。”の部分に他ならず、モバゲータウンそのものの賛否は、極論を申し上げると「どうでもいい」ことでした(そういう風に受け取れなかった方もいらっしゃるのは、僕の記事のまとめ方が下手なだけで…。確かに読み返すと、ちとDeNAさんへの賛辞の占める割合が多いかも)。こんな事件を起こすからダメ、金融広告を出広しているからダメ、そういった一面だけで「モバゲータウンがダメ(とか、事件があったのはモバゲーが“悪い”とか)」と結論を導くのは「いや違うでしょ」という思いが強すぎたからかもしれませんが。こちらの意見で指摘されている、モバゲータウンの「負」の側面は、僕自身も感じなかったわけではないですし、“でもそれでも”DeNAさんという企業は「素晴らしい」と思っている、という僕個人の意見を表明したにすぎませんから、「いややっぱり負の側面が多すぎまっせ」と感じる方がいても当然です。続けて同サイトからの引用ですが、==========理解が薄い人からは一緒くたにされやすいが、モバゲーと学校裏サイトは明らかに違うと思います。==========この意見も「姿勢が同じ」という匂い(!?)を感じました。一般に言われる「学校裏サイト」は明らかに「悪」ですもん(誹謗中傷そのものを目的としているから)。それを“一緒くた”にしている方には、やはり僕も疑問を呈します。このように、「ブログで表現する者」に対して意見をする姿勢が“同じだな〜”とか“わかってくれてるな〜”とか感じると、「その記事」単独、あるいは、「その記事のある部分」についての賛否が違っても、ある種の気持ちのよさ、そして「(あ、そんな方もいるのね、と)勉強になった」という気持ちを感じます。しかし、そんな「ブログで表現する者」の「書く気」を削ぐ意見も見られることがあります。それは、「いちいちブログの内容に理論武装を求める人」です。そうです、自分の意見と食い違うときに、文章の中で理論のつながりの欠落点だけ指摘して「こういう場合はどうさ」と揚げ足取り屋さんに多いタイプです。注)誹謗中傷屋さんは僕にとって「問題外」です。典型的な指摘はこんな感じです。「いや、それは違う。『○○』という本にはこういう事例が紹介されている。読んだら違うことがわかる」このような意見を書かれたときに、瞬間的に感じるのは(あえて本文章の言葉遣いのタッチを変えて表現します)「あなたと24時間、勉強する分野・領域、まったく同じなわけないし〜“この文章だけに表れている理屈の欠落”を“あなたがたまたま得ていた理屈”で指摘し、自分が優位に立ちたがってるだけじゃんか」という思いですね。「自分の土俵で相撲をとりたがりくん」と言うこともあります。補足)「いや、それは違うかな。『○○』という本にはこういう事例が紹介されていますよ。是非読んでみてください」だったら、「あ、読んでみよっかな」となります。これは“ブログの書き手へ理論武装を求める”のではなく、親切心からくる指摘ですからね。僕はブログを書いて長いので、このような意見がきても、瞬間的に上記のような感情が湧くだけで、そして次の瞬間には「どーでもいい」と無視できちゃうんですけど…「ブログで情報発信したい!」と思い、ブログを始めたばかりの人に対して、このような人の存在は、「(確固たる)理屈の裏づけがないとブログが書けない…」と感じさせ、せっかく「表現」しようとしている気持ちを奪いかねません。そしてそもそも、理論武装だらけのブログがはびこるネットの世界なんて…つまんない。いいじゃん、理屈がなくたって。(「理屈がない批判」は「どうよ」と思いますが)いいじゃん、感覚だけで。いいじゃん、「思った」「感じた」だけで書いたって。「表れたもの」に対してしか批判できない人よりよっぽど素晴らしいですよ。まっさらから文章を起こしている、という方は。CGM(消費者発信型メディア)が作った文化に、恩恵を受けたことが多い僕なので、これから芽を出そうとするCGMの作り手には、徹底的にエールを送りたいと思います。そして、「いちいち理論武装を求める人」に意見なんて「気にすんなよ」と伝えたい。もちろん、僕自身は、自分の文章の理屈の欠落(というより、「伝えたいこと」と「押さえなければいけない理屈」の乖離、でしょうかね)があったときは、それを良しとはしませんし、「理論武装を求める人の意見」についても、瞬間的な感情は抜きに、「あ、そっか、(理屈を)補わなきゃな」と感じた方が「得」だと思っていますが…それを「初心者」にも求めないでくださいね、ってことです。そしてまた、「補わなきゃな」という思いがあることと(理論武装はできるにこしたことはないですし、そういう姿勢は自分を成長させますからね)、「だからすべてのブログを理屈を補って書く」ことは違います。感じたこと、感覚論、そんなものでもどんどんブログに「書く」ことを、これからも止めません。 寺西隆行 / (株)Z会http://www.zkaiblog.com/histaff/
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