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意義とは?/ レイク

[ 436] 総論 複数のプログラミング言語を学ぶ意義:ITpro
[引用サイト]  http://itpro.nikkeibp.co.jp/article/COLUMN/20070618/275142/

ネットワーク応用通信研究所 特別研究員。島根の田舎に住みながら国際的なオープンソース・ソフトウエアの開発に挑むプログラマ。家族6人で幸せな田舎暮らしを満喫している。バグと原稿の締め切りがなければもっと幸せなのに,と思いつつ,考えてみれば,それらがないならないで,別の困ったことがあるよなあと思う今日このごろ。
皆さんは「サピア・ウォーフ仮説」をご存じでしょうか。これは言語学における古典的な仮説の一つで,「人間の思考は使用する言語とそれに付随する文化に影響を受ける」というものです。もし仮に数字を3までしか持たない言語があったとすると,その言語を使用する文化に生まれ育った人間は3以上の数を認識できない,といったことです。言語学的にはこの仮説は否定されているようですが,日常生活の中では,この仮説が本当ではないかと感じる経験がたびたびあります。
例えば,私は年に数回海外に出張して講演をする機会があります*1。海外の人のほとんどは日本語を理解しないので,英語で話すことになります。私も日本人の一人として当然のように英語に対する苦手意識がありますが,理解してもらえない日本語よりは,つたない英語でも1024倍くらいマシだと思って,体当たりで英語に挑戦しています。
そこで奇妙なことに気づきました。普段,日本語を話しているときと,英語で話しているときとで,自分の性格というか態度が微妙に違うのです。日常会話(とあらかじめ準備した講演)くらいならようやくなんとかなる程度の英語力なのですが,英語で話しているときのほうが,もう少し論理的で大胆な話し方をするように思います。
プログラミング言語も,同じように人間の思考に影響を与えます。私がBASICでプログラミングに入門したばかりの中学生のころ,Pascalを学ぼうと教科書を一生懸命読んだのですが,再帰の部分がどうしても理解できず苦労したことを覚えています*2。再帰という概念が存在しないBASICによって思考が狭められていたとしかいいようがありません。同様のことは他のプログラミング言語でも発生します。例えば「本物のプログラマはどんな言語の上でもFORTRANプログラムを書ける」というFORTRANを皮肉った有名な文章があります*3。私自身,どう見てもCOBOLにしか見えないCプログラムを読んだことがあります。
このように,自分が普段から使っている言語が自分の思考を狭める働きをすることはあまり知られていない事実です。逆にPascalが私に再帰を教えてくれたように,新しい言語を学ぶことによって新しい概念を身に付けることができます。プログラミング言語はプログラミングの際に用いる重要なツールの一つですが,プログラマの思考に対して良いほうにも悪いほうにも影響を与えるということを,ときには思い出す必要があります*4。
多くのプログラマにとって,見知らぬ新しい言語を学ぶことは,おっくうで面倒なことです。新しい言語を学びたくないという理由で,従来のツールに固執することも珍しくありません。しかし,新しい世界が広がるのであれば,新たなプログラミング言語を学ぶことはそんなに悪いことではありません。考えてみれば,プログラミングの基礎になる部分はどの言語でもある程度共通です。新しいプログラミング言語の概要を理解するには数日あれば十分です。言語を学ぶことの最大の障害は,「勉強しても使わないから」ということかもしれません。しかし,LotYの考え方では学ぶことそのものが目的で,学んだことを日常的に使うかどうかには固執しません。
LotYとして学ぶ以上,今まで知らなかった文法,機能,文化などを持つものが望ましいでしょう。世の中にはたくさんの言語がありますが,これらの条件を満たしそうなものをいくつか紹介しましょう。
プログラム自身を操作するメタプログラミング機能の元祖はLispです。この機能をリフレクションと呼びます。Lispは強力なリフレクション機能を備えています。
次に紹介するのは関数型言語です。C言語でも関数という単語を使いますが,関数型言語と呼ぶときの「関数」は数学的な関数です。関数型言語では数学をベースとした計算モデルを採用しています。LispもLambda計算というモデルが基礎になってはいますが,手続き型の記述もできるので,意外に普通の言語として使えます(カッコだらけの見かけ以外は)。
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[ 437] 夢見る評論日記。
[引用サイト]  http://blog.livedoor.jp/dreamcat/archives/2005-04.html

なんだか知りませんが、前回のが多くのニュースサイトにリンクされており、コメントを残されているサイトも少なからずあったので、ちょっと考えてみようかと思って考察続編。
杞憂だと思います。個々人の求めるニュースの性質が違いますから。ブログマップで上位に来たニュースが、その人にとって必要な情報であるかはまったく別ものです。閲覧者は、「コイツが薦めるんだからきっと面白いんだろう」という、通っているニュースサイト管理人に「ある種」の信頼があって、無駄クリック(興味無いwebページを観てしまった1クリック分の時間と労力の損失)を減らすことができます。
この辺は前回も指摘している通り、特殊なフィルタリングが掛けられているニュースサイトはその方面での需要があると思う。そのようなある種専門化された記事は多くのサイトが共感することがないため、ブログマップで上位にランクされることは少ないからだ。
これは勿論ある。この管理人の選ぶニュースが好きだからという理由からの閲覧は確実にあるし、実際僕の本サイトの方で紹介しているニュースにも、「あなたのフィルターを通してみる世界が好き」というような評判を貰ったこともある。
だがここで問題なのが、その信頼関係とブログマップの利便性との兼ね合いだ。つまり、どちらが信用できるのか、ということになる。
ところで一般のニュースサイト閲覧者はいったい何を見たくてニュースサイトを訪れるのか考えたことがおありだろか?
ネット暦はそこそこあってもサイト運営などには手を出したことのない友人何人かに聞いたのと、自分がサイトを運営していなかった時を思い出したのを総合すると、やはり「笑い」「感動」などの感情を喚起させるものだ。それは勿論普通のニュース(新聞やテレビで日常的に見れるような)ではなく、インターネット上でしか見れないような、変わったものを求めていると思う。
しかし、そのように一般閲覧者の感情をくすぐるようなニュースがあった場合、多くのサイト運営者もおそらく同じような感情を持つと思う(特にブログの一般化が進んでいる昨今)。ということは、その一般閲覧者が求めるニュース=ブログマップ上位のニュース、になるということになるのではないだろうか?(多くのサイトが支持するニュースは、一つのフィルタリングとしてかなりの利便性を持ちうる)
勿論そのサイトが好きで見ているんだ、という人がいるのも認めるし、僕もその一人として多くのサイトを見ている。だが、そんな方々(これは一般閲覧者に限る)にブログマップの存在を教えたら、どれくらいの方がそのサイトを見なくなるのだろうか。
実際、友人何人かに見せたら嬉々として喜んでいたし、某掲示板でも、ソースは手元にないがそのような発言を多くみた覚えがある。ちなみに僕も、サイト運営前は、ブログマップにかなりお世話になった。
おそらく、総合系のニュースサイトに限るなら、一般閲覧者にとっての利便性は確実にブログマップの方がある。そしてブログマップの認知度がネット暦の浅い一般閲覧者にも浸透すれば、確実にニュースの零細サイトも増える。
>>そもそも、この手のサイトが出来て「ああ、自分のサイトに意味がなくなった」と思えば止めればいいし、それでも面白ければ続ければ良い。それだけのことなのですから。
ただ結論に至るまでの過程の(数字のない)数値化の意味合いと、意味があるないとか楽しければいいとかの結論よりも、アクセスがあったほうが良い、というのは根底としてあると思うので書きました。
>>あそこにTOPに来るネタは既に広まりきった感の強いネタが多いですので、掲載を迷ったものがランクトップに来ていたりすると掲載を止めたりしています。
でも実際は、広まりきっていると思っているのはディープなさーファーと、ニュースサイト管理人だけだったりします。
これらはどれも、他のサイト(主にニュースサイト)がリンクしている数を数値化してどれが人気の記事かを簡単に判りやすく教えてくれる便利なサイトだ。実際、面白い記事は多くのサイトにリンクされるので、これさえ見ていれば面白い記事だけを見れるし時間も節約できるしと、かなりお得なものだ。
いったいこれで何を言いたいのかというと、ニュースサイトはこれでかなりの危機に陥っているのではないか、ということだ。
実際、ニュースサイトを批判するような場所(主に2ちゃんねる等の総合掲示板の一スレッド)では、これさえ見ていればニュースサイトなんかをわざわざ巡回する必要はないし時間も苦労も短縮できる、という意見をよく見かけるし、確かにそうかもしれないと思う。
確かにこのブログマップなどが存在できるのもひとえにニュースサイトが多く存在するからであって、ニュースサイトがなかったらこんなもの自体存在できない。しかしそんなことは閲覧者にとってはどうでもいいことなのだ。
例えば「かとゆー家断絶」を例に取ると、かなりの量の情報があのページに収められているが、その多くは恐らく閲覧者の興味があるものではなく、あの中から面白そうなタイトルを閲覧者自身が取捨選択しながニュースを見ていると思う。
しかし、閲覧者=ニュースサイト管理人でもあるため、情報の取捨選択がサイト間で行われ、面白いニュースだけがブログマップのログに残り、一般閲覧者からした場合、取捨選択と巡回の苦労を一挙に省くことができる為、かなりお徳でなのである。
勿論偏ったニュースをばかりを集めたニュースサイト(例えばTARGETCAPTUREや一軒屋@メモ帳等)はブログマップにその記事がのることが少なくなる為それだけで行く価値は比較的上がるだろうが、殆どの総合ニュースサイトと呼ばれるサイトは、かなり打撃があると思われる。
しかし思うのだが、先も述べたとおり、ブログマップなどの存在自体がニュースサイトに依存しているものであり、アクセスがそれらに流れた場合、結局やる気などを失ったサイトが結果的に増え、ブログマップの存続すら危うくなってくる。
で、ニュースサイトを批判している者ドモも、何故か見ているブログマップ。いったい彼らはそれがどうして存続できるのか考えたことがあるのだろうか。
勿論既知の事だと思うが、春分の日というのは、一日の昼と夜の差が均一の日で、つまりその日を境に「昼の時間が長くなる」となり、冬はそこで終わったともいえるのかもしれない。
キリストが生まれたのはクリスマス「12月25日」と一般的に言われているが、それを示す根拠は聖書のどこにもなく、「12月25日」という誕生日は後世で勝手に都合よく決められた(しかもそれはゾロアスター教の神:ミスラと同じ誕生日)というのは有名な話だが、実は春分の日の次の日、「3月22日」こそがキリストが生まれた日ではないかと言われている。
何故ならば、その日までは「闇が光を制していた」世界を、春分の日を境に逆に「光が闇を制し」、それこそがキリストが生まれた日を意味しているというのだ。
秋分の日、「9月23日」も同じく昼と夜の時間が同じと日と言われており、つまり次の日から「闇が光よりも長くなる」ということになる。となると、9月24日はサタンが生まれた日。
サタンの誕生について主だった説はないが、キリストの誕生を春分の日の翌日と仮定するならあながち間違った考えでもない。光より生まれしキリストが3月22日、闇より生まれしサタンは9月24日というわけだ。
で、実は僕の誕生日が9月24日。つまり僕はサタンということになる。そう、僕は悪魔の軍団を引き連れこの世界を焼き尽くすために生まれたのだ!フハハハハハ。
一般的に言った場合、野球界で一番ファンが多いのは巨人だろう。なにせ大昔からスター選手が名を連ね、実力がある選手は皆巨人に入りたいと言われるほどの球団。江川卓が空白の一日を利用して巨人に電撃入団をしたのはあまりにも有名だし、現在の清原もプロ入りしてからずっとフリーエージェントになるまで我慢してやっと念願の巨人軍入りを果たした。
しかしながら、ファンが一番熱烈なので有名なのはその最強のスター軍団ではなく、恐らく阪神タイガースであることは間違いがないだろう。
何故彼らは阪神をそこまで応援でき、勝ち負けに一喜一憂し、試合となるとあそこまで盛り上がれるのか、僕は不思議で堪らなかった。或る種の宗教的な何かを連想させるほど狂喜に満ちているように僕には思えるのだ。
実際僕は、スポーツ観戦は結構好きなのだが、特定のひいきチームがあるというわけではなく、NBAを例えば見に行くときも、隣の人と話を盛り上げる為に、相手に合わせて好きな球団を変える。野球などは、話を盛り上げる為に、超マイナー球団である「日ハム」が好きだ、なんて言ってみんなをよく笑わせていたものだ。
よく思うのだが、ひいきのチームが勝ったからと言っていったい何の意味があるのだろうか。別に阪神が勝ったところで、それを応援している人には何も利益がないし、それでその人の何が向上するというわけでもない。勿論それで賭博をしていたり、経済効果やらデパートの安売り、果てはゲーマーズの半額セールなど、そういうのを期待して応援している輩もいるようだが、殆どはそうではないだろう。意味がなく応援するのだ。
勿論その人にとっては意味があるのだろう。音楽やその他の芸術活動が非生産的なのと同じく、或いは精神的な安らぎを与えているのかもしれないし、連帯感が気持ちいいのかもしれない。いづれにせよ、何かしらを求めて、或いは何かしらの雰囲気と圧力に押し付けられて、そのチームにたどり着くのだろう。
キリスト教徒の子供が何も知らないうちにキリスト教の教育を受けてキリスト教徒になるように、その国その場所に生まれたということからくる周囲からの無言の圧力によって増えていく信者。精神的な安らぎを求めるというところも同じだ。そしてその神が倒されれれば、民衆は暴徒と化す。
結局人間は、生まれながらにして決まっていることを、自分で意思決定を行ったと勘違いしつつ、少しづつその埋め合わせをして生きているんだな、と新聞を読んで感じた。
ところで、前々から企画していた、「マイ定義集&辞書」を本格的に作っていきたいと思っているので、もしよろしければ何か定義していただきたい言葉を募集中。まぁ恐らく集まらないので、先に何かきちんとした形で作っていってから本格的に募集をかけようかと思っているけど。結構面白くなりそうなんだよね、これが。
きっかけは小学生の頃、ストロング安田というボディビルダーのビデオクリップを父親から強制的に見せられ(僕の父親はかなりボディビルディングにはまっており、かなりマッスル)、その大会でのBGMがクイーンのボヘミアラプソディーだったことだ。それ以来僕はクイーンのCD、ビデオ、関連書籍を買いあさった。
調べてみればクイーン、日本との関わりは少なくなく、親日でも実は有名で、70年代当時はビートルズと同じくらいの人気を博していた。その勢いで日本語歌詞の曲まで作っているほどだ。最近も、野島伸二のドラマ「PRIDE」で楽曲が使われ、ベスト盤のCDがミリオンセラーになったのは記憶に新しい。
世界中で愛されてきたクイーン、特にイギリスでは一つの家庭に一枚は必ずクイーンのCDがあると言われるほど評価が高いクイーンだが、日本人との相性は特にいいのかもしれない。
勿論知っての通り、フレディーマーキュリーは既にエイズで亡くなっており、ジョンディーコンはバンドから身を引いている為、ロジャーテイラーとブライアンメイだけという寂しさだが、それでもクイーンのライブを見れるだけでファンは嬉しいだろう。ボーカルにはなんと、バットカンパニーのポールロジャース。僕自身あまりバッドカンパニーは好きではなかったが、面白い展開になったと思っている。もし僕も見にいけるなら見に行きたいものだ。
さらにスイスにあるフレディのモニュメントのコピーまで作られ、かなり大掛かりなものになるうえに、三ヶ月という長丁場、コマ劇場の最長記録が一ヵ月半というから、これはかなり期待を込められていということだ。
三ヶ月あれば、僕も丁度夏日本に一時帰国するので見れる時期。確実に見に行くと思うので、今から相当楽しみにしている。
かつて、ブライアンメイといえばコインでギターの早引きをする神的存在で、フレディマーキュリーと言えば派手なパフォーマンスと甘い歌声で聴衆を魅了し続けた。
だが現在ではドラマの一時的な効果でクイーンが広まったとは言え、そのお陰かいざ知らず、ハードゲイだとかいう虚しいコントと相まってフレディに無意味な人間像を意図的に押し付けるマスコミの流れによって、なんだか馬鹿にされている風潮がある。
アメリカ人は基本的に陽気だ。一方で短気であるというのもあるが、短気も陽気という一つのキャラクターの中の一部分だと考えられると思うし、そうでなくてもそれを補うほどの陽気が彼らにはある。
そんなわけで、アメリカ人はどこの国に行っても、すぐにそれと判別が可能だ。例えば、ホワイト系アメリカ人がヨーロッパにいた場合、普通は容姿などから判断は難しいのだが、行動を見ていればすぐ判るのだ。その方法をお教えしよう。
これは非常に簡単だ。冬なのに半袖を着ている頭の悪そうな奴がいたら、それはアメリカ人である。奴らは少しばかり頭の螺子が外れているので、どんな寒さでも半袖でいる事が一つのステータスなのだ。そしてこんなとき、僕たちは言う。仕方がないよ、
次に、英語圏じゃないのに英語を普通に喋っている白人を見かけたら、それはアメリカ人だ。そこが例えばアジア(日本でも可)だったとして、至って普通に英語でアジア人に向かって喋りかけるのはアメリカ人しかいない。でもそれで彼らを責めないで欲しい。彼らは頭が少し悪いから、英語以外の言語を話すこともできないし、話そうとおも思えないのだ。しかしそれは教育のせいでもなんでもない。理由は一つ、
彼らは自分たちがクールでいるためには、自分たちが普段使っている言葉以外の言葉を、そこがどこであろうと使ってはいけないと思っているのだ。だから、旅行者が必死でその国の言葉で話そうと努力しているのはクールじゃないと言えるわけだね。
渋谷で何か怪しげなものを売っている外人がイラン人であると同じくらいの確率で、深夜の歌舞伎町を徘徊している外人の団体はアメリカ人だし、女性がどこかのドアを開けようとしているとき、必死に走って先に開けている外人が居たら、それはアメリカ人だ。あと、もし外人旅行者らしき団体の会話が聞こえて、一分以内にFUCKが五回以上でたらアメリカ人と言っても過言ではない。
僕は昔からアメリカ人が嫌いだった。それはアメリカに住む今も変わらない。その理由について、少し思うことを書いてみる。
アメリカ人と日本人は決定的に違う。それは文化の違いや、その歴史背景から来るものも大きいのだろうが、性格、振る舞い、物の価値観捕らえ方、勿論身体の構造までが違う。これだけの他民族が共存し、一つの国として団結しているのも珍しい。
皆さんも聞いたことがあるかもしれないが、船が沈没しそうで乗客一歩でも早く海に出てもらいたいとき、日本人には「もう皆飛び込んだぞ」というのが効果的で、アメリカ人には「保険が降りるから早く飛び込め」というのが効果的であるというジョークがあるほどアメリカ人はお金に執着があると言われる。これは結構本当だと思う。
例えば車を修理しに行っても、最初の見積もりと後に請求する値段が違うなんてことは多々あることで、アメリカでは初めに100ドルで直る、と言われても信用してはいけない。僕もそれを知らずに昔日のころ、100ドルを前金で渡し次の電話をかけたら、やれるころはやったが全部直すにはあと500ドルかかる、といわれ、じゃぁ直さなくていいから100ドル返してくれ、というと、もう使ったから無理、と答えられた。殆ど詐欺みたいなものだが、アメリカではこれが常套手段だということを後に知った。
とりあえずぼったくれ、これがアメリカの精神。だから、もしアメリカで大金を使うときは、必ず他の店などと同時に交渉し、値切るところまで値切ったほうがいい。そうじゃないと絶対に損をする。
これも有名な話だ。皆さんも「犬をレンジでチンしてそれが説明書に載っていなかったから賠償するニダ」とか、「マクドナルドのコーヒーこぼして火傷負ったから賠償しる」などの伝説を聞いたことはあると思う。まぁ、これらの殆どは下らないよた話で、例えばレンジでチン事件は全くのでたらめだし、マクドナルドの件も、三億円というのが一般的だが実は三千万円で、しかもマクドナルドは度重なる似たような事件があったのに改善しなかったことや、被害者は全治10日の重症を負っていたりと、結構尾鰭がついている。
実際、僕の友人が追突事故を起こしてしまい、相手の車に傷が出来てしまったのだが、それに対して、全然傷もなくかなりあたりも小さかったのに、修理費は勿論こととしても、治療費と精神的苦痛費を請求する裁判を起こしてきた。さすがの友人もびっくりしていたが、これも日常茶飯事らしい。
知り合いの米国弁護士に聞いたところ、車両保険に入っていない人間が多く、裁判を起こさないと修理費も払わないやからが少なからずいるらしく、治療費として請求されるものの多くは弁護料にあてるための名目らしい。
なんにせよ、保険をケチっておいて修理も払わない輩が多いというのがアメリカのお国柄というかなんというか。お金に汚く裁判が多いというのも頷ける。
ばるぼらさんがサイト上で書いたものがやっと本になるそうで、かなり改定を加えての発売だそうだ。これは期待できる。どっかにログだけが残っていた気がしたが、ちょっと探したくらいでは見つからなかった。誰か知っている人いたら教えてください。
もともと、READMEはテキストサイトのランキングのようなもので、数々のテキストサイトが登録してきて、昔だったら「侍魂」がずっと一位をとり続けてたり、その後はちゆ、連邦、と来ていたわけなのだが、現在ベスト10にあるサイトで純粋にテキストサイトと言えるの「僕の見た秩序」くらい。(連邦はニュースっぽい)
現在のREADMEの使われ方と言ったら、同時期に登録しあった管理人たちが知り合う為のきっかけ作りの為にしか使われていない。こんなことを書くと斬鉄剣みたいなことになりそうだが、玄人向け管理人同士向けのサイトだけが膨張し内輪だけで馴れ合って、さらに、アクセス数があるサイト=駄目サイト、みたいないかにも玄人的な風潮がそれを助長させている気がする。
どうでもいい話でしたが、上の本は、新しくインターネットに入門する上でもいいと思うし、昔からインターネットにいる人はノスタルジーを感じることが出来るしで、かなりの良書になると予想されます。そのログを読んだことある人はわかると思いますが、読んだことない人は必読。  
ポリティカルコンパスの二版がでたそうで、ためしにやってみましところ、政治的な右・左度(保守・リベラル度) +1 経済的な右・左度(市場信頼派・政府介入派)+1(詳細は忘れました。丁度1くらい)の保守右派に分類されました。
といっても、ほぼ中央に位置するので、やや右思想に傾いた中立はと言ったところでしょうか。経済方面ではもう少し右に傾く思ったのですが、思ったより中央より。保険の件とか結構生々しいから判断が鈍ってしまうのですよね。
で、面白い事件がありまして、ここを見てもらえば判るのですが、自分の息子が100円ショップで日本国旗を欲しがりそれに落胆しうちの子に限ってという認識は甘いのだと知る、というなんとも香ばしい話なのですが、コメント蘭を見てもらうとかなり凄い。総数400コメント。しかも途中でコメントを中止にしたので、一日でこれだけのコメントがあったことになります。
勿論これにはわけがあって、この記事を書いた人、実は本まで出版されている列記とした記者さんで、そのことも手伝ってどうやらコメントの増加となったのだと考えられます。ちなみに今現在、記者であったという事を証明するプロフィールなどは削除済み。あまりのコメントの多さにびびッたんだと思います。
叩かれすぎて色々と保身に回ってしまうケースはどこの世界でも多いですが、記者としての発言に自覚をもてないというのはどうかと思いますけどね。それなら初めからプロフィール公開をするべきではない。覚悟というものがまだわかっていらっしゃらない。
しかしここで思うのは、やはりネットの世界は右思想が多いということだろうか。この記事自体確かに気味の悪いものだし、子供の時分から左翼思想を徹底的に仕込もうとする考えにも賛同はできないが、こういう考えを持っていること自体は教育されてきて仕方がないものだし、自分が信じてきたことを子供が裏切るというのもかなしいものだ。それをちょこっとお手軽感覚でブログに投稿したら批判の嵐。
この記事がもし極右的な記事だったとして、左翼陣営からこんな批判は来なかったと思うし、むしろ好意的な意見の方が多かっただろう。本当にこの世界はおもしろいと感じたましたね。
いまだ日本では左翼思想が根強く残る中、中国では反日デモが政府の先導の元行われていますが、それに対抗できるのはネットの住人だけなのかもしれない。
連続で地震問題について書くのもどうかと思うが、少しばかり気になるニュースが多いのでちょい書かないといけない気がした。もしかしたらこれはもしかするかもしれない。
これによると、地震の莫大なエネルギーから電磁波が出て地震雲がでてくるとかなんとか意味不明なことが書かれており、地震雲が見えたから危ないですよー、というキチガイ発言に一見みえる。
地震雲のメカニズムは前のでも書いたとおり立証するのは難しいというのが専門家の意見なのだし、そこは僕も実際そうだと思うのだが、確かに11日関東全域で震度5を記録する地震が発生した。
時期は多少ずれるが、当たったと言えなくもない誤差だ。僕がそこそこ信頼を寄せている串田氏のFM電波による地震予知方法でも多少の誤差が出るので、7日と断定してこの誤差なら或いは可能性はある。
そして上の記事を発表した日本地震予知協会だが、ここはUFOやらの研究も行っている微妙な団体なので信用がかけるが、ある程度の予測をしていたのを認められる。雲と地震の関係もあながち否定できない要素の一つであるのかもしれない。
さらに他の串田氏を除くアマチュア地震観測家が口々にまた叫んでいるのが東北地震である。特に宮城周辺が怪しいのではないかと見方が強い。
これに対して串田氏の予想を見ると、確かにタームが長い(串田氏の予想方法では、前兆のタームが長いほど地震の予知が難しくマグニチュードが大きい可能性が高い)前兆現象があり、四月後半を軸に東北地方北部で地震が起こる可能性が高いとなっている。これを元にするともしかしたら危険がせまっているという可能性も否定できない。
実際に予想というものが当たるか当たらないか、科学的か非科学的か、それはあるかもしれないし、実際証明できない方法ばかりなのだが、データを積み重ねることにより信頼できる予想が増えていくなら危険は危険として察知するべきなのかもしれない。
地震雲についての特集を最近よく見る。『蒼井そら地震予知』なんていうニュースがネット上を駆け巡ったのも記憶に新しい。
で、記事が何を言っているのかというと、メカニズム的には有り得ない、ということを言って、結局変な雲を見ても忘れるけど直後にジsンがあれば覚えている、というような理論から、『地震雲の信憑性を考える前に人の心理を研究したほうがよさそうだ』というありきたりな記事で終わっているのだが、ちょっと最後の長尾教授という人の話が気になった。
ちなみ串田さんというのは、FM電波が電離層に反射することによって起きる電波の歪みを計測して地震を予知するという天文学者で、八ヶ岳でトレーラーのなかに家族と住んでいる奇特な学者さんです。
そのメカニズムは全く解明されていなくて反対している人も多いが、僕も昔その情報をFAXで購読していた時期があって、結構当たることが多い。実際、M5以上の地震がかなり確率で当ててくる。世界中の学会がかなり串田さんの研究に注目している。
一昨年の九月ごろ、新聞に東京M5の地震予知を発表して、日にちが2日ずれてM4の地震が起きたという事件があったけど、これを名前を出さずに批判しているように見えたんだけどな。
なんだか解析が機能していなかったので気付かなかったのですが、どうやら先日の『ニュースサイトの意義』が多くのニュースサイトに取り上げられたようで、少なからずのニュースサイト管理人が自分のサイトの意義について考えているということが見て取れて嬉しいです。
ところでここで興味深い記事があって、そもそもニュースサイトというものをカテゴライズすること自体意味がないのではないか、というようなことが書いてあり、これは確かにそうかもしれない、と思った。
というのも、ニュースサイトを考える前にニュースというものを考えてみると、前にも書いた通り、東西南北(EWSN=NEWS)から新しい(NEW)ものを集めてそれを公開するという形をとったニュースは、それ自体を一つの作品と考えられるからだ。
前にも書いたが、ニュースサイトは前提として閲覧者に対する有益性は確かにあり、問題は管理人に対する有益性があるかないかに絞られてくる。そこでニュースを一つの作品と捕らえることでさらに補えるのではないかと考えられるわけである。
つまり、この混乱した情報社会で、いかにニュースを取捨選択するかが鍵になってくるわけで、それは管理人によっての「色」も出てくる。全てのサイトが同じニュースを垂れ流していては閲覧者も逃げ出すだろうが、確実に管理人によっての性格的な位置づけが出てくるのだ。ということは、その好みによって閲覧者の層が変わってくる。つまり、記事というスクラップを集めた作品を閲覧者に提示することによってそれが認められるかどうかの問題になってくるため、一般のテキストサイトや評論サイトやらと何も相違はないのである。
という反論はさらに意味がない。だって作品を作ることにもともと意味があるわけがないのだから。そこを否定したら全てのサイトを否定することになる。ここでの数学的なニュースサイト運営否定論(しかしこれはニュースサイトを否定してるわけではない)も、結局は全てのサイトを否定していることになっているのだ。
確かに何時間もかけて記事を集めて、垂れ流して、んで何が残るのって言われたらそこまでかもしれないけど、何時間もテキスト考えていったい僕に何が残るのかの方が不思議な問題だ。でも、一般的に言われるサイト運営の目的は人とのコミュニケーションだと言われていて、だからミクシーとかが流行ると思うんだけど、それを考えるとやはりニュースサイトは上手く繋がっていると思う。ここでも似たようなことに触れられているけど、ニュースサイト同士の係わり合いとしてのコミュニケーションがかなりあるはずなのであって、つまり似たような意識からくるニュースの紹介をもって繋がりが出来ていくということだ。テキストサイトなどでも、自分が面白いと思ったサイトの管理人と仲良くなる、といのはよくあるが、横のつながりが堅いニュースサイトならなおさらだ。
よく評価されたくてやってるんじゃない自己満足でやってるんだ、なんてコメントを見るけど、それは綺麗事だと感じる。多くの人間は何か自分が生み出したものを評価されたいと思っていると思うんだけど。だから、評価してくれたり評価してあげたい人とは仲良くしたよね、ってことでファイナルアンサー。
ところで竹島問題について、アエラが見解を出しているのだが、日本有利という記事なのが結構意外。アエラでまさか日本を支持する記事を見れるとは思わなかった。記事もかなり核心をついているし、そろそろ朝日も韓国を捨てる作戦にでたか。
なんて、もともとアエラはそこまで左よりでない記事が多い雑誌なのでそこまで驚くことでもないが、これを見る限りも、明らかに竹島は日本の領土であることが一目で判る。松島→竹島、の勘違い説もここで肯定しているし、国際裁判のことも書いてあるので、韓国もそろそろどうしようもないところまで来ているだろう。
「とはいえ、長期的、大局的な国益を考えれば、近隣諸国と領土問題で対立を続けるより、司法の場で決着する方が賢明、得策だろう。特に弁護士出身の大統領もそれを十分承知のはずだ」
って書いてあるけど、やはりこんな馬鹿げたことを書くのは朝日なんだな。もう有り得ないね。プロパガンダとして日本を仮想敵に見据えているのに、そんなところで譲歩したら今までの政策が全て無駄になるし、現政権の穴も丸見え天国になってしまうから、日本と対立し続けるしか韓国に残された道はないわけですよ。勿論世論もあるしね。
そんな馬鹿げた友好をほざくよりも、韓国人が竹島問題で殺した40人以上もの日本人のことを、北朝鮮の拉致問題並みにとらえるべき。それでこそ国益が守られるってものです。
非常に重い言葉であると思うし、現在では差別用語指定もされている言葉で、テレビやラジオ放送でも禁止用語にされており、一般的な場ではあまり聞かなくなった言葉であろう。それは出版界にも言えることで、書籍上でも差別用語の言葉をみるのは今日では難しい。
じゃぁ実際「mad」などの言葉をどう訳しているのかが少し気になった。例えば不思議の国のアリスに登場する個性的な人物「mad hatter」、昔は「キチガイ帽子屋」として通っていた彼も恐らく今では何か別の名称に変わっているのではないだだろうか。ちなみにディズニーではそのまま「マッドハッター」と呼称されている。しかしそれを言うなら、勿論ある程度の問題だが、英語でも「mad」は多少の差別的ニュアンスを含んでいる。「mad house」は精神病院という意味だし、普通の話し言葉では使われていても、地上波などでは避けることが多いだろう。その辺をディズニーは理解してるのだろうか。
その一方で、差別用語を歴史的な観点から見てそのまま残すという動きも勿論ある。ちびくろさんぼの復刊を初め(これはもともと差別的なものはなかったという話のほうが多いが)、夢野久作の小説なんて「キチガイ」を連発してるけどそのまま残っている。
釣りキチ三平、かの有名な漫画であるが、釣りキチガイの略だったんですね。いや、周知の事実かもしれないけど、僕は知らなかったので。これも、いろいろ問題になっており「釣りマニア三平」に変更しろなどの話も出ているようですが、普通にそのまま復刊しているそうです。いや、そんな変更あったらキレルでしょ。
古い映画や古いアニメなど、そういうのを見ていると実際差別用語にぶち当たるのはいたしかたがない。そういう理由で石井輝男の映画を見れないのは非常に悲しいし、ルパンとかで急に伏字が入ったりカットされたりしているのを見ると、凄い冷める。だけど圧力もあって仕方がないってのも判るし非常にもどかしい気分だ。
僕の高校時代の教師が部落差別に対しての授業で、クラスメイトが「こんな授業をしているから差別が終わらないのであって、授業を廃止すれば差別を知る人がいなくなって差別は消えると思います」と発言したのに対し「確かに差別は消えるべきだが、差別があった歴史は消えてはならない。その歴史が消えたら差別されていた人たちがあまりに可哀相だ。だから俺たちはその歴史を繋いでいかなくてはならない」って反論した。
ニュースサイトについての論議は恐らく多くのサイトで既に論議されているはずであるし、何を今更感もあるが、ちょっと考えてみる。
ニュースサイトについて論議の対象になってきたのはつまり、ニュースサイトは多くの閲覧者にとっては有益にあり得るが管理者にとっては殆どの場合無益である、ということだろう。
確かにニュースサイトの利便性は僕たち一般閲覧者にはなくてはならい存在として一定の需要がいつの時代もある。その証拠にREAD MEの日刊ランキングを見てみても、孫ニュースサイトだけで相当数がベスト20にランキングしている。これは需要があるとしか言えない。
ここで論じられているのが、全く以って管理者にとっても有益性がニュースサイトにはないということである。これはある意味数値の提示されていない数学的な論で、真っ向からこれを否定するのは相当難しいと思われる。しかし、そこで出てくる反対意見というのが自己満足でサイトをやっているんだからそんなことを言われる筋合いはないのではないだろうか、というものだ。これは確かに誰もが持っている意見の一つ出るあると思う。生産性だけで判断されては芸術の殆どが否定されかねないからだ。
しかし思うのは、自己満足でやってるだとかそういう意見は、上の記事のライターも既知のことであると思う。そんな反対意見はだれでも思いつくからだ。だが、自己満足だけに時間をかけ過ぎると人生お先真っ暗ですよ、みたいなことを言いたかったのではないだろうか。それならば納得できる。何故ならば、自己満足だけで生きていけるほど世の中は甘くないし、だから記事でも趣味としての形態が一番適切であると書いてあるのだ。
ところで僕はサイトでニュースを一日5個くらいの割合で取り上げているが、それは何故かというと、僕がニュースサイト巡りを元々していたからである。別にサイトにアップするという作業自体は大したことはないし、それなら巡回中に発見した面白いものをアップしよう、という魂胆だ。僕の文章を見に来てくれる人なら共感できるニュースばかり集めている。フィルタリングもされているし、それはそれで閲覧者には有意義だ。
つまり僕が何を言いたいのかというと、閲覧者=管理者、ならば、プラス面はともかく、マイナスの要素は管理者にとっては発生しないのではないだろうか、ということだ。というか、殆どのニュースサイトの管理者は巡回してたらいつの間にニュースサイト始めてたよ、的なのが多い気がする。そういう観点からの形態なら大分ニュースサイトの有意義性が見える気がするが。
で、結論はそんなことなのだが、どちらにせよニュースサイトの管理人はすごい。例えば『かとゆー家断絶』等は殆ど化け物だ。しかしそれにしたって、半分くらいは彼自身の趣味が混じってるし、趣味としての形態から派生しているのだと思う。
こういうことやってるんだもんねー、朝日さん。週刊文春の広告も一部黒塗りしてたりと大忙し。そろそろ首の皮一枚で繋がってますよ。
この辺もまた微妙な要素。こういうことをわざわざ反体制的に出来る人間がいるってことが左よりの国家ということか。その思想がどうかはともかく、自分の考えを押し通すってのは大したものだと思う。実は巧妙に作られた思想だったってことに気付くのいつのことやら。
でも、実際、こういうのは自由だ僕は思っているので。処分しなきゃいけないのは判ってるんだけど、処分するのはどうかと思う自分も居る。
そういえば、一般人が朝日の記者に「朝日新聞とかが巧妙に左翼化傾向に持ってている」と言ったのに対して「朝日新聞社は思想集団じゃありません」と答えた記事がどっかにあったけど、笑えるね。朝日の馬鹿げたコメントも笑えるけど、一般人がそういうことを言うようになったってのも笑える。  
韓国という国が、最近というか昔から色々と香ばしい行動を起こしているため、なりきり右翼が増殖している。最近では『竹島』問題がなどが各所で取りざたにされているが、もう可哀想なくらい間違った認識を植えつけられた人々がトンデモ論を展開しているのだ。
こういうことばっかり言ってるから韓国はいつまでたっても相手にされない。そろそろ自分たちが間違っていること資料から悟って欲しいと思うのは僕だけですか。
まぁ、こんな感じで上にある「独島」→「竹島」説は否定されるわけだが、そもそもやはり鬱陵島と竹島(松島)との認識差異があったために生まれたものだろうが、韓国はそこを完全に無視して突っ走っている。GHQが竹島を日本領土から隔離したとき、都合のいいように韓国の領土線を引いたものだからこういうことになったというのに、昔から自分の国のものだったなどというのは頭がおかしいとしか言いようがない。こんなんでは韓国批判は増えるばかりだし、もっと普通に接したいなら自重して欲しい。
しかし、プロパンガンダというのは非常におもしろい。九十九式の宮本さんが、日本は教育をおろそかにしてきたツケが回ってきた、と言っていたけど、それ本当だ。ネットに右よりな方々がしわ寄せされているのを見れば簡単に理解できる。でも、両方極端すぎるんだよね、右も左も。左にはスポンサーが多くついている分、右が活性化するのはいいことなんだとは思うが。
ちなみに、LAには世界最大規模のコリアタウンがあり、友人にも韓国人はたくさんいるが、特に摩擦らしきものが起きたことはない。非常に良い人間にも多くあったし、普通に接している人間が大部分。だが思想についての話を直接したわけではないので、心の奥では僕らのことを忌み嫌っているのだろうか。だとしたら相当悲しいね。あの笑顔のマスクの裏がそんなものだったら。そうでないと信じたいが。

 

[ 438] ゲームのマボロシ: ゲーム会社の存在意義
[引用サイト]  http://blogs.dion.ne.jp/arere/archives/4816160.html

さて、前回の記事で2006年を振り返りつつ、今後の展望を書いてみましたが、あの記事は基本的にゲーム開発者に向けて書いたつもりです。
今回は新年早々の記事ということで、再度、今後の展望を書いてみたいと思いますが、今回は趣向を変えて、現場の開発者寄りではなく、開発のマネージャ寄りの方々に向けて記事を書いてみたいと思います。
既存のゲーム会社に向けた文章なので、これからのネット時代を考えると古臭いと思われる向きもあるかと思いますが、そう感じる方は「自分に向けられた文章では無いのだ」と判断してもらえたらと思います。
第一の理由として、娯楽の1つとしてゲームが求められているという、需要、市場の存在が挙げられます。この需要は、娯楽の常として、世の中の流れや技術の進歩に応じて、拡大したり、縮小したります。時には需要がほぼ消滅してしまうこともあります。
第二の理由として、生活のためにお金を稼ぐ必要がある労働者の存在も挙げられます。こちらは供給側ですね。こちらは、人間が生きている限りは無くなることはありませんから、世の中に市場がある限り、それを満たす程度の労働力は常に確保できると考えられます。
しかし働く側の視点から考えてみると、ゲーム会社への就職がお金を稼ぐための手段でしかないのなら、それは何もゲーム開発でなくても良い訳です。明日から外食産業に転職したってかまいません。現在はお金を稼ぐ手段は様々です。そういう中であえてゲームという将来が不安定な会社に就職する人は、そもそもゲームという対象そのものに興味があることが多いと考えられます。
ですので、ディベロッパーも含めればゲーム会社がこれだけ世の中に多くある現在では、ゲームに携わりたいと考えている人は、働く環境を自主的に選択します。つまり「より自分が興味を持っているゲームを作っている会社に入社する」もしくは「自分で会社を興して、自分が興味を持てるゲームを作る」です。もちろん選択基準には多くの場合「安定した生活」も含まれるのですが、それは条件の1つでしかありません。
つまり構造としては、「市場の存在」という会社が存在するための絶対条件が満たされた上で、「ゲーム」というメディアに興味を持つ開発者たちによって成り立っているのが「ゲーム会社」「ゲーム業界」ということになります。
このことから、つまりゲーム会社は2つの需要を満たす必要があることが分かります。そしてこの2つが、ゲーム会社が存在している意義だと定義付けることができます。
開発者にとって魅力的な職場を提供すること、つまりある程度の生活水準と、魅力的なゲームを開発できること。
僕は日本のゲーム業界は、少なくともPS1までは、消費者から望まれるゲームと、開発者が作りたいゲームは、ほとんど一致していたと思います。厳密にはPS1の頃から取りこぼしてきたユーザー層はあったはずですが、市場としては拡大していたので、許容範囲と言えました。
しかしPS2以降は、明らかに市場が求めるゲームと開発者が作りたがるゲームに、ギャップが目立つようになってきました。たとえば開発者の多くは、続編ではなく新作を作りたがります。これは続編ばかりが目立つ現状からすると信じがたいことなのですが、実際にはそうです。しかしPS1では意欲的な新作がブレイクすることが少なくなかったのですが、PS2からはそうした成功例がめっきり減りました。もちろん成功例はありましたので、市場が保守的になったという意味ではありません。しかし少なくとも、開発者が考える「作りたかった新作」と、市場が求める「遊びたい新作」の間に何かしらのギャップが存在した、とは間違いなく言えると思います。少なくとも、PS1の頃よりもそのギャップは拡大しました。
今になって見れば、そのカラクリは実に簡単な仕掛けでした。市場は「よし楽しく、より簡単なゲーム」を望み、開発者は「より面白く、より高度なゲーム」を望んでいた、というギャップです。DSという性能が著しく制限される代わりに、直感的なインターフェースを備えていたゲーム機によって、そのギャップがつまびらかにされました。
以前にも書いた通り、ゲームの難易度は下がり続けていますから、そういう意味では開発者は市場の需要に応え続けていたと思います。しかし難易度は下げても、ゲームの内容やシステムまで簡素化することには抵抗感がありました。それは単に開発者の欲求だけでなく、それがゲームをやり込んだコアユーザーの欲求でもあったからです。
今の時代、ゲームの開発者は22〜32歳ぐらいがもっとも開発者の層が厚いと思いますが、この世代は年少の頃からゲームに親しんできたコアユーザーが多いです。ですので開発者とコアユーザーの間には、意識のギャップは余り無いのですね。一方で、ゲームはあくまで一時の余暇と割り切っているような層とは、年々意識のギャップが拡がっています。
こうした状況は、特に自身がコアユーザーである開発者にとっては、直視しづらい物となります。その代表的な物の1つが、まさにコアユーザー向けの1ジャンルとして栄華が終わりつつあった頃のシューティングゲーム「レイディアント・シルバーガン」サターン版に収録された、ディレクターによる隠しメッセージです。
シルバーガンにおいては「シューティングゲーム」という、ゲームの1ジャンルの栄枯盛衰のみに限定された問題でした。しかし今日においては、いわゆる「より高度なゲーム」全体が地盤沈下を起こしかけているという点で、問題の範囲は非常に大きくなっています。そのため開発者による反発も、より大きいものがあります。
しかも北米というより大きい市場においては、より高度なゲームが歓迎されるという土壌ががあります。このことが問題をより一層根深くしています。実際、カプコンのように次世代機らしいゲームで海外で多くを売り上げ、成功している例がありますから。
開発者にとって魅力的な職場を提供すること、つまりある程度の生活水準と、魅力的なゲームを開発できること。
というゲーム会社が存在している意義における「ゲーム」は、PS1の時代までは同じ物を指していたのですが、PS2以降は違う物を指すようになった、という状況にあります。つまり存在意義が矛盾している訳です。ここに現在のゲーム会社の多くが経営不振に陥っている、真の原因があります。
たとえば仮に、トップダウンの力によって、開発者自身は望まないが消費者からは望まれるゲームを開発して、一時的に大きな利益を挙げたとしても、それでは存在意義(2)を満たせないので、その会社は求心力を失い、有能な開発者は会社を離れてしまうでしょう。そうすると長期的にはその会社は衰退してしまうことになります。そのような例を、私たちはすでに多く見てきているはずです。
ゲーム開発者の多くはコアゲーマー寄りであるという前提に立った場合、もはや開発者にゲームを自由に作らせればうまくいく、という時代は終わったということになります。しかし嫌々「売れるゲーム」を作らせてばかりいては、その会社は長期的には衰退します。この矛盾を解決しないと、ゲーム会社という組織は自己矛盾に陥り、存在することができなくなります。
それを解決するには、開発者の意識を変える必要があります。それも強制的な手法ではなく、むしろ開発者が自発的に市場に合ったソフトを開発するような雰囲気、考え方を根付かせるということが必要になります。それは簡単に言えば人材教育ということになりますし、少し独自の言い回しをさせてもらうなら、開発者マネジメントがより重要になる、という表現になります。開発者1人1人に自発的な変革を促すということは、人材教育という言葉だけでは括れない、包括的なマネジメント作業となるからです。
これからは、それに成功した会社が成長していき、失敗した会社が衰退していくという流れがより加速していくと思います。最新技術のキャッチアップなどとは違い、目に見えにくく、また効果がいつ出るかも分からないという点で、非常に難しい改革になると思います。しかし持続的な成長を目指すためには、避けては通れない道だと思います。
この問題をさらに推し進めると、そもそもどこまで開発者を正社員として抱え込むべきなのかという問題や、パブリッシャー、ディベロッパーの関係の再構築、最近増えてきた独立系のエース級開発者との協働などまで話題が拡がるのですが、それについてはすでに多くの方々の関心事だと思いますので、特に触れません。
繰り返しになりますが、ゲーム会社は、市場の欲求(需要)を満たすことと、開発者の欲求(生活の糧、仕事を通じての自己実現)を満たすことが存在意義です。そして今、その両者のギャップが開いてきているのが、今日の様々な問題の真の原因であり、会社が成長していくためには、そこを解決しないと本当の解決にはならない、ということなのです。 
ゲームのマボロシさんの記事に触発され、久々に長文を書いてみようと思った次第。たぶん僕はこれを書いたあとに後悔する。 (中略)そしてこの2つが、ゲーム会社が存在している意義だと定義付けることができます...
北米の年末は360が200万、Wiiが180万、PS3が85万だったようです。Wiiが予想以上に大健闘。360もやはり北米で強いなあと。1月以降の売れ方を観ないとわかりませんが、後続機との差が埋まるどころか開いていく可能性もありますね。北米市場で利益を出せるなら、開発者とユーザーの求めるものが一致しやすい北米に注力するという選択肢を選ぶメーカーが多いんじゃないでしょうか。あれれさんが言う「開発者が作りたがってないが、ユーザーが求めているゲーム」って、脳トレやWiiスポみたいな物を指してます? すぐに飽和しませんか。2、3年後には落ち着いてるんじゃないかなー。ところでピニャータが売れなかった事をどう思われますか?
>洗脳されないと・・・さん個人的には推奨しないのですが、北米重視路線はもちろん選択肢の1つだと思います。実際、それで成功している会社もありますから。最新技術へのキャッチアップができる会社なら、尚更でしょう。多くの場合、心情的には最新技術へのキャッチアップをしたいがための北米重視路線なのだと思います。技術的に(オンライン、オフライン共に)PC畑の欧米勢についていけなくなるというのは、日本のコンソールゲーム開発者共通の恐怖感でしょうから。しかしそれは僕は、一種の強迫観念だと思っているので、こうした記事を書いています。実際、どんなに技術が進んでも、それが参入障壁にはなっていない訳ですし。ピニャータについては、僕も大変注目していたのですが、残念な結果に終わってしまいました。ただ北米でもDSの一般層向けゲームにいくつかは成功を収めていますので「360はコアユーザー中心の市場」という推測も成り立ちます。しかし現状では何とも言えませんので、下手にバイアスをかけず「売れなかったんだな」という事実をありのままに受け止めるしかありませんね。
> 多くの場合、心情的には最新技術へのキャッチアップをしたいがための北米重視路線な逆にDSやWiiはキャッチアップに耐えられない企業にとっての福音として、過大に評価されていませんか? 将来的な少子化を見込めば、海外重視は当然だと思いますよ。経営サイドと開発サイドの意向が完全に一致しているでしょう。北米重視でない経営者が今いるのでしょうか? 日本が好調な任天堂でも北米重視ですよね。あそこの決算では、北米は売上高こそ大きいものの、利益は全然出ていません。そこまでしてシェアを守りたがってます。DSも安く売ってます。脳トレも19ドルで激安。宣伝費も相当かけてますね。任天堂路線を北米で成功させるには、湯水のように資金を投じないと難しい事は、みんな見抜いてると思いますよ。技術についてけなくなって没落したハドソンのようには成りたくないってのもあるのかな? 任天堂はいざとなれば、自社版権で他社に作らせればいいから、低リスクですな。
>洗脳されないと(ry さんなるほど、少子化も含めての北米重視なのですね。もちろん、それは1つの選択肢だと思います。任天堂のユーザー層拡大も、少子化対策の一環と見ることもできますね。誤解はされないで欲しいのですが、僕は日本先行論者ですが、客観論としては北米重視路線を否定しません。成功例もあるのですから。ちなみにハドソンがうまく立ち行かなくなったのを最新技術のキャッチアップに失敗したからと見るか、人気作の続編に頼りすぎて、開発者にとって魅力的な職場と見なされなくなったため、開発力が衰退したと見るかというのも、見解が分かれるところの1つですね。
大作だろうが、シンプルなものだろうが、海外だろうが国内だろうが、ユーザーの望むものを作るのは当たり前。今までこの業界がおかしかっただけじゃないですか?他の業種であります?ユーザーの望むものは作りたくないとかいってけるようなもの。もちろんニッチ需要はあるのでそういうのを目指すのも悪くはないと思います。ただし、大量に何十万本も売れてソフト単価7000円以下とか言うのが無理なだけで。昔のネオジオのような価格をつけても売れるような感じで魅力ある作品にこだわって出すべきでしょう。そうすればある程度の無理を承知の上での戦略としていろいろと取れると思います。すべて横一線の価格ってところで中身や開発費にかかわらず大量に生産、販売されなければならないから無理なだけですから。そういう転換が出来るかどうかがこの先生き残るのに重要になってくるような気がしますね。
>とおりすがりさんゲーム業界は、比較的社内政治がゆるく、また開発者自身がユーザーであることも多いことから、他の業界よりもむしろユーザー寄りの業界だと思います。しかし「魅力ある」を何をもって判断するのか、その判断のギャップが市場の大多数と開発者の間で開いているのが問題なのではないか?というのがこの記事の趣旨です。つまり開発者は、「自分が信じる価値観、考え方」に従って、ユーザーのために作っているのです。本人自体は、ユーザーのためにと思っているのです。だからこそ、難しい問題だとも言えるのですが。
んー車の設計とかしてる人たぶん車好きですよ。番組作ってる人もたぶんTV番組好きな人たちでしょう。演劇やってる人も俳優業きにいってるんじゃないですかね。どんな職種だってそういう人たちはいると思いますが。ゲーム業界だから特別ってことはないと思いますが。ユーザーのほうを向いているとはいえないです。ニッチならニッチでの水戸を探すべきです。一般の人にスポーツカーが必要ないけど、開発は続ける、値段は高いし利益は出ない、そういう感じでいいのではないでしょうか。
>とおりすがりさんどうも話がすれちがっているようです。僕はとおりすがりさんの「意見」が間違っていると思っている訳ではありません。僕は、コアユーザー的な開発者は、あくまでユーザーのためにと思って作っているが、それは現状では大多数のユーザーに向けられていない、というギャップがあるということを書いています。「ユーザーなんて知るか」という姿勢では無いのだが、結果的にはそれと同じことになっている、ということです。しかも一部の開発者からすれば、今のライトユーザー向けゲームのブームは一過性の物で、最後に残るのは従来路線のゲームだと(もちろん進化はしていきますが)考えています。もしもそうであるのなら、ライトユーザー向けゲームに安易に迎合するのは、かえって危険な訳ですから、今は我慢の時だと考えても不思議ではありません。とおりすがりさんは、今のゲームはユーザーから求められていないニッチな物(スポーツカー的な物)という前提で文章を書かれていると思いますが、それは証明された事実ではなく、各人が仮説を立てているに過ぎません。ですので、とおりすがりさんの話が間違っているというのではないのです。しかしコアユーザー的な開発者の意見が間違っているという訳でも無いのです。これは単なる考え方の違いだからです。もちろん、どちらの考え方に採るかで、将来の有利不利は変わってきますが、それはこれから証明されるでしょう。※あとワールドワイドで考えれば、北米を中心に、まだまだコアユーザー向けゲームの市場は小さくないのでから、「ニッチ」という表現そのものが妥当ではありません。
この議題は奥が深いですね…確かに日本の開発者は本当に作りたいゲームを作れない状況になっているようです、ゲーム開発をしている友人も同じ事を言っていました。今開発に携わっている人間って言うのはあれれさんの言う通りゲーム世代です、ですが彼らは現在のゲーム世代では有りません。今のゲーム世代はライトゲーム世代と言える世代で彼らの世代はヘビーゲーム世代と言えるでしょう。現在のゲームは"長く遊べるゲーム"が少なくなり"簡単で手軽なゲーム"が増加しています、これは作り手の思い描くゲームとは違うゲームなんですよね。ゲーム世代のゲームプログラマーは最近増加した知育ゲーなどを本当に作りたいのでしょうか?ミニゲーム集を作りたいのでしょうか?アンケートをとってみたいですね。。。因みに、ゲーム業界のメインは北米中心に動いてきているようです。今世代ではなく次世代ゲーム機の頃には日本の技術者は既に世代遅れになってしまっているだろうと外国のゲームプログラマーもおっしゃっておりました。もう"ゲームは日本"と言うのも過去の物になってしまっているのかもしれませんね。これからの日本ゲーム産業にゲーマーの我々は期待して良いのでしょうか?それとも北米のゲーム(俗に言う洋ゲー)へシフトしていった方が良いのでしょうか?今年の動きに注目です。
動物の森とかnewスーパーマリオとかポケモンとかFF3とかたまがっちとか、ミニゲームとか知育とかいうのとかなり違うような。これらは結構やりこまないといけないヘビーなゲームですぜ。DSが売れている原因として親も一緒に楽しめる、敵視されていないってのは大きいかと。十字キーは使えないけど、タッチペンのゲームなら遊べるという大人がかなりいますしね。ようはライトなゲームもヘビーなゲームもある広い市場だからこそユーザーが集まってる。それだけでは?
DS程度の「ヘビーゲーム」はコアゲーマーからしたら、せいぜいミドルクラス。画面もチャチだし、本気でやりこむ気にはなれない。ま、任天堂はそういう層は切ってるんだからいいんじゃないの? そういう層はPS3、360、PSPで楽しんでいるよ。ゲームメーカーはライト向けか、ヘビーゲームについてけなくなった元コアゲーマーのおっさんに向けて作るか、現役コアゲーマー+米国ゲーマーに向けて作るか、どっちかだろうね。
>ん〜さんどうぶつの森やポケモンFF3は時間はかかりますが難易度は簡単ですよ。どうぶつの森は単純作業の繰り返しですし、ポケモンも難しいゲームでは有りません、FF3に至ってはDS版はレベルが上がりやすいので極めるのも早いですよ。私は幅広くゲームをやるようにしていますがやはり最近のゲーム、特に任天堂さんのゲームの方向性には疑問を感じます。任天堂さんの言うゲームの面白さは映像美やスペックではない、と言うのはわたしも最もだと思いますが現在の任天堂さんは単純に面白いソフト=簡単なゲームと勘違いしているのではないかと最近思ってしまいます。単純=簡単ではなく単純だからこそ奥が深く極められ難しいゲームが本当は求められているのではないのでしょうか?最近のDSを見ていると発想やアイデアが乏しいように思えます、最近のDSソフトではタッチペンを使わないゲームも増えています。作りこみもどんどん甘くなってタッチパネルを本当に使わなきゃいけないのか?と疑問に持つゲームやタッチパネルの認識システム自体もう製品レベルじゃないようなソフトも増えてます…ゲームの面白さを追及する事には大賛成です、ですが現在の状況ではただ日本市場は衰退するばかりではないかと思います。
ポケモンはかなりヘビーだと思うけどね。個体値MAXに近いメタモン捕まえるのに、すでに300匹くらい捕まえてるけどまだまだだし、メタモンをダイヤモンドパールに連れてきたから個体値高いガラガラにほのおのパンチ覚えさせるためにまたエメラルドに戻ってやりこまないといけないしで(いまどき骨ガラとか古いかもしらんが)まともに対戦しようと思ったら200時間くらいかかる。つーか、まだ500匹をまだ把握してないので、戦略が変わると、一匹に数時間〜数十時間かけて育てなおしの予感がしてる。500匹集めるにしても、GBA版含めてかなりやりこまないときつい。
>子供は寝る時間難易度と画面のきれいさはヘビーかどうかは直接関係ないと思うんだけど。長時間プレイさせたものがヘビーなゲームと俺は思ってる。ウィザードリィとか開発コストはかなり少ないと思うけど、シンプルだけど長時間かけて遊ぶから俺的にはヘビーなゲームかなと。そもそもFF3とか全滅した回数からいえば難易度はFC版より上だと思うし。(FC版はガルーダの1回くらいしか全滅しないが、DS版は雑魚で全滅の可能性が高い)熟練度があがりやすすぎること、物理攻撃が強すぎること、救済されなかったジョブがまだいたこと、黒魔法がほぼ役に立たないことなど難点はある。だけど、わりと久々に作り手の愛が感じられたゲームだと思ってる。>Endymion あと任天堂のソフトは単純で奥が深いからうけてるだけでは?足して足して複雑にするのは簡単。機能を削るのは難しいことです。手軽さだけならみんな飽きてすぐにゲームやめるでしょう。ゲームに魅力があり、それを上手く宣伝しているから発売直後以外にも売れ続けているだけです。普段ゲームをやらない層のほうがたぶんシビアですよ。だめなゲームつかまされたらすぐにゲームから離れる可能性はあるでしょう。
↑↑あー、すまん。時間はかかるけどって書いてあったな。勘違いしてた。まぁ、単純作業だけじゃなく、多くの情報を整理する能力がないと無駄に時間がかかった例として受け取ってくれ。
という事じゃないか。グラフィックがチャチな子供だましゲームは遊ぶ気がしないし、「奥が深いゲーム」もレトロゲーム馬鹿がシンプルなのを好んでるだけ。
生活に何の不安も無くゲームだけしてていいならいくらでもゲームをやりこみますよいい大人がゲームなんて、って良く言われちゃいますが子供の頃からやってますので今更やめれないのですよ、やめる気もないし状況と言うのは刻一刻と変わっていく訳で、生き残りたいのなら当然努力しなきゃいけない今までと同じ作り方、考え方しかしなかったらダメなのは当たり前でしょうある程度の年代を意識するのであれば当然その生活背景をもっと考えるべき、そう言う年代は当然時間はとても限られてる、限られた時間をどう楽しませるか、どう繋げさせるか、まだまだ工夫の余地はあるはず工夫=ヌルゲー、ショボゲーにしか出来ない会社なら滅びるのは必然でしょうね
ファミコンの頃からゲームにしがみついてるおっさんが、デカい声で「俺にあわせてゲーム作れ。作れないと買わねえぞ。ゴルァ」と叫んでいる状況が証明されました!かくして日本のゲームメーカーは若者とアメリカのゲーマーに向けて作り、おっさん&ガキ向けメーカーがショボゲーを作りましたとさ。
ファミコンの頃からゲームにしがみついてるおっさんが、デカい声で「俺にあわせてゲーム作れ。作れないと買わねえぞ。ゴルァ」と叫んでいる状況が証明されました!かくして日本のゲームメーカーは若者とアメリカのゲーマーに向けて作り、おっさん&ガキ向けメーカーがショボゲーを作りましたとさ。
でも君だって何時かおっさんになるんだぞおっさんになったからって理由でゲームやめるのかねある程度の年代を意識するなら、と条件をつけてるだろうに、実際今あるゲームの殆どは20歳以上を強く意識しているように見えますけどね
>ショボゲー好きはおっさんとガキだけさん「奥が深いゲーム」もレトロゲーム馬鹿がシンプルなのを好んでるだけ。と言っておられますが私は格ゲー・シューティングFPS・パズル・RPG様々なジャンルの最新ゲームを楽しんでいますが「奥が深いゲーム」大好きですよ。今日もPSPですがシンプルで奥が深い『グンペイリバース』を買う予定です。「奥が深いゲーム」=「レトロゲーム」と言う認識は少し改めた方が良いと思いますよ、シンプルでも奥が深ければ面白い物は面白いと思います。PSPをもしお持ちでしたら駅やゲーム店の配布で無料ダウンロードできるので宜しければ試してみてください。>わるかったなおっさんでさん【実際今あるゲームの殆どは20歳以上を強く意識しているように見える】これは無いですよ、ちょっと視野が狭すぎです。もう少し多くのゲームに目を向けてみては?現在の新作棚などはどう見ても20歳以上を意識した物では有りませんよ。自分達の年代をターゲットにしたゲームは少しは出るでしょうが沢山は出ないと思います。ゲームメーカーにはどの年代など問わないゲーム作りを目指して貰えばそれで良いと思います、子供以外の偏った年代へのゲームアプローチは逆にあまり良く無いのでは。後、私も若くは有りませんし働いておりますが時間が無くとも今の携帯ゲーム機にはスリープモードが付いています、別に長時間ゲームが出来ない!などと思った事は有りませんよ?私の場合は通勤時間(往復一時間程)を利用して良くゲームをしておりますが一ヶ月でトータルすると結構時間があるものです。電車の中でゲームをやるのは嫌だ、車だから無理と言うのであればもうそれはゲームをやるのは引退した方が良いのかもしれませんね。もし私の言葉の取り方が間違っておりましたらご指摘下さい。
いえいえ、多分に感情が入ってますので大げさな表現や一方に強く言っていますので取り間違いと言う事はないと思いますむしろ言葉が足りなかったのは私の方なのでこちらが謝るべきかと思います、申し訳ありませんでしたそうですね、はっきりと言葉にして伝えるのはとても難しいんですが今後は20代前後、あるいは30台までが主だったゲーム層になっていくと予想しているのですよ当然その層が主になっていけば今までのようにTVの前に座って遊ぶ時間は激減する訳です、既にその兆候はある訳で、今の携帯ゲーム機の勢いも先っぽは間違いなくそこにも繋がっているわけです更に言えば今は子供だって忙しいのです、塾やら何やらでTVの前に座る時間は減る傾向にあると思いますきりが無いのでここまでにしてしまいますがそう言う状況が迫っている(と思っている)のに対応する動きがないなぁ、と思っている次第です携帯ゲーム機だけで果たしてそう言う流れに対応し切れるのか、さてどうなるのか?現状は受け手である私は期待するしかないのですが長文失礼
7〜8年前くらいに見た報道で全社員にいきなりパソコンが配備されてパソコンを目の前にベテラン社員が「こんな物で仕事できるか!」って嘆いている報道を思い出しました。
根本的に何か思い違われている様なので補足します言っておきますが簡単なゲームにしろとか難易度を下げろとか、そう言う話をしてる訳ではありません自分も四捨五入すればもう30歳ですが今でもバリバリゲームしていますし最近のゲームは簡単すぎると思っている位です、しかし簡単な割には時間ばかりかかるゲームが多いように感じているのですこれから主だったゲーマー層が使える時間が今より限られる方向に向かっていくと考えている私にとってただ単に時間ばかり取られ実の少ないゲームのままでいいのかな?と10年ぐらい前からずっと考えているのですみなさんはどう思いますか?
>皆様すみません、嘘くらい言い訳ですが、またまたノートPCの液晶が割れまして(泣)、ブログを更新できませんでした。コメント欄の議論にも乗り遅れてしまいましたね。また、ぼちぼち更新します。
アイドルマスターとか美少女ゲームは日本の独壇場だよ。こういったゲームを輸出するには膨大なテキストを翻訳しなくちゃいけないし、そもそも西洋人の感性に合うかどうかという問題もあるけど、アニメが海外で受けてるんならこういったゲームもはやる可能性があるんじゃない?げんにYouTubeではアイドルマスター輸入したいって人結構いたし。

 

[ 439] 技術と事業を結びつける鍵--「ラボ」の存在意義を検証する:特集 - CNET Japan
[引用サイト]  http://japan.cnet.com/sp/nils2006s/story/0,2000062938,20166467,00.htm

同セッションに登壇したのは、楽天 取締役常務執行役員 兼 ポータル・メディア事業カンパニー 社長 吉田敬氏、NTTレゾナント ポータル事業本部 技術マーケティング部部長 工学博士 濱野輝夫氏、サイボウズ・ラボ 代表取締役社長 畑慎也氏の3名だ。モデレーターのECナビ 代表取締役CEO 宇佐美進典氏も含め、ラボやR&Dというテーマについてそれぞれの戦略を語った。
モデレーターの宇佐美氏が代表を務めるECナビでも、2005年11月に「ECナビラボ」を設立したばかり。これは、同氏が「経営戦略上で技術が重要な役割を持つと感じるようになった」というように、技術力が経営の行方に影響を与えていることを意味する。宇佐美氏がまずスピーカーに聞いたのは、経営の中における技術の重要度についてだ。
NTTレゾナントの濱野氏は、最近のトレンドとして「Web 2.0的な参加型の開発や、オープンソース、APIの公開といった流れが進み、多くの人がオープンにアイデアを出し合うことで新しいサービスを作る手法が主流となってきた」と話す。「技術そのものはもちろんのこと、こうした技術者コミュニティの動きをいかにして取り込むかが重要だ」というのが、濱野氏の考えだ。
一方、楽天の吉田氏は、新しい技術的トレンドはあるものの、「技術が重要だったのは、インターネットのサービスが始まった時からずっとそうだった」という。楽天はマーケティングに強い会社と見られがちだが、技術には設立当初からフォーカスしていたという。
技術の重要度がずっと変わらないという点は、サイボウズ・ラボの畑氏も同意している。ただし、2005年8月になってサイボウズが独自の研究開発会社としてサイボウズ・ラボを設立したのは、技術開発に集中するための施設という位置づけはもちろんのこと、「サイボウズのテクノロジブランドを築き上げたかった」(畑氏)という点も大きな理由のようだ。
畑氏は、「サイボウズ製品を利用しているユーザーは、サイボウズが技術力の高い会社だと感じているかもしれないが、サイボウズはマーケティング色も強いため、技術者にとってサイボウズが技術会社として魅力があるかどうかは疑問だ」と話す。例えばGoogleなどは、技術力の高さでも企業ブランドとしても知られているため、技術者の採用も買い手市場だが、サイボウズでは技術者の応募者数も多いとは言えない。「テクノロジブランドを打ち出すことで、技術者不足を少しでも改善したかった」と畑氏は明かす。
サイボウズ・ラボを立ち上げたことで、技術者の採用は「大幅に良くなったとまではいえないが、設立時の計画通りの改善は進んでいる」と畑氏。ただし、「必ずしも技術力の高い人がラボ向きかというと、そうではない」という。それは、ラボでは売上や利益に連動したボーナスなどが存在しないためだ。「自分の作った製品の売上や利益がモチベーションとなる人にとってはやりにくいかもしれない。その場合は、(ボーナスなどの制度がある)本社に紹介することもある」(畑氏)
採用面でのメリットについては、楽天の吉田氏も認めている。ただ、ラボという形態は持たないものの、「楽天としても、ブログが普及するよりずっと以前の2001年8月に(ブログ形式の)『楽天広場』を開始するなど、各社がラボと称して実験していることと同じような取り組みは継続的に続けている」と話す。
こうした研究開発や新サービスへの投資ができるかどうかは、「企業体力にもよるだろう」と吉田氏。楽天は、売上規模も大きくなっていることから、「昔はR&Dに1億円投資するとなると、売り上げに占める割合も大きかったが、今では例えば年間の経常利益の2%をR&Dに回したとしても10億円ほどの投資ができる。今後、楽天広場を始めた時のような取り組みをさらに推進したい」と述べた。
一方、ラボという特別な研究開発部隊を持つことで吉田氏が気がかりなのは、「通常業務で開発を続ける技術者が、ラボ部隊に参加できないことでモチベーションを失わないか」という点だ。
この懸念については、ECナビラボを立ち上げたモデレーターの宇佐美氏も理解を示している。実際ECナビでは、開発者がこぞって「自分もラボで開発をしたい」という風潮になってしまったという。そのためECナビでは、ラボの位置づけを「組織としてのラボ」から「研究結果を発表する場としてのラボ」へと転換しようとしている。つまり、通常の開発メンバーもラボでの開発に参加できる体制にするということだ。これは、Googleが「Google Labs」を発表の場として位置づけているのと同じだ。
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