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異議とは?/ マイワン

[ 64] 同音異義語への異議
[引用サイト]  http://www.sf.airnet.ne.jp/~ts/language/homophone.html

一般に日本語の特徴とされるものの多くは、世界の言語の中では珍しくない。敬語の体系はバリ語やジャワ語のほうが発達しているし、擬音語・擬態語は韓国語のほうが豊富だし、言葉の性差は男と女が異なる単語を使うヤナ語やヤニュワ語に遠く及ばないし、助数詞はツェルタル語や中国語のほうが複雑である。しかし一つだけ、日本語が確かに世界一のものがある。それは同音異義語の多さである。
通常、言語の中で同音異義語はそうそう発生しない。文脈で区別できる同音異義語は存続できるが、そうでない場合、音が変わったり、言い替えられたり、捨てられたりして一つだけが生き残るようになっているのだ。ただし、字が違う同音異義語は書き言葉の中なら存在できる。例えば英語の "queen" と "quean" がそうで、両者の発音は数百年前に同じになってしまったため、後者は書き言葉でしか用いられなくなった。また同音異義語は、発音が簡単な言語が複雑な言語から単語を輸入する時によく発生する。発音が単純で表記に漢字を用いる言語、すなわち日本語は、これらの条件を完全に満たす。同音異義語を許す漢字が悪い、という意見が聞かれることがあるが、果たして本当に漢字が原因なのか、考えてみよう。
日本語で最も同音異義語が多いのは「こうしょう」であるようだ。「大辞林 第二版」によると、全部で 45 個の「こうしょう」がある。だが実はこれらの全てが最初から「こうしょう」だったわけではない。奈良時代の発音はもっと異なっていた。これらの漢語の発音の変遷を以下に示す。
なお、この表中の語が全て奈良時代から使われていたわけではない。奈良時代ならそう発音されただろう、という表である。
見て分かるとおり、昔の発音が日本人にとって難しかったわけではない。現代日本語には「くゎ」の発音はないが、それ以外は何も難しくない発音である。また発音体系全体が変化したのではなく、「あう」が「おー」に、「えう」が「よー」になるような発音の単純化しか起きていない。残念ながら、昔の日本人は発音を怠け過ぎたと言えるだろう。このような単純化が起きなければ、「考証(かうしょう)」と「交渉(かうせふ)」を容易に区別できたはずだ。
日本語にはアクセントがあるが、それほど多くの語を区別できるわけではなく、また文法的な制約もある。上記の語の中では、国名の「高昌」と人名の「康尚」と「洪昇」だけが「高低低低」のアクセントで、他は全て「低高高高」である。
同音異義語が増えて昔の日本人は不便でなかったのか、と今なら思うが、当時は不便に思わなかったのである。なぜなら一般の日本人はあまり漢語を知らず、個人の語彙の中では同音衝突しなかったからだ。また漢字の知識も今ほどなかったので、同音異義語が増えて誤解を生じるかもしれないとは全く思わなかったのである。江戸下町方言ではさらに「あい」が「えー」になる変化まで起きた。「大工(でーく)」、「大変(てーへん)」などだ。幸い、この変化は現代日本語には受け継がれなかった。もしこの変化が広まっていたら事態はもっと悪かったろう。現代人は漢語をよく知っているので今後このような発音の単純化は起きないだろうが、失われた区別を取り戻すことはできない。漢字を使えば同音異義語が多くてもやっていけるが、少ない方が良いことは言うまでもない。漢字がないともっと混乱する。例えば英語の road, load, lord は日本語に入ると全て「ロード」になり、目でも耳でも区別できない。
和製漢語が同音衝突の元凶だと言われることがあるが、正確ではない。漢和辞典を見れば分かるように、同音異義語は元々多かった。和製であろうとなかろうと、現代日本語では漢語は同音衝突しやすいのだ。だが日本語には、漢字を使わずに短くて精密な語を作る方法は無い。どうしても同音衝突を避けたいなら、長い語を使うしかない。しかし、短い語のほうが記憶しやすいことが実験で示されている。脳の情報処理においては、たとえ同音衝突しても短い語のほうが有利なのだ。外来語をそのまま使うと、時として異常な長さになる。「インターナショナリゼーション」や「エレクトロマグネティック・フィールド」より、「国際化」や「電磁場」のほうが素早く理解できるのは言うまでもない。
中国語、広東語の右肩の数字は声調である。上表から明らかなように、声調がある中国語、広東語だけでなく、声調がない韓国語でも十分これらの語を区別できている。こうして比べると、日本語の発音の単純さに愕然とする。日本語にも声調があったら、とか音素が多かったら、と夢想したくなる。人間の言語には違いはあるが優劣はないとするのが言語学の常識で、この場合も単純な発音にはそれなりの利点がある。子供にも憶えやすく、雑音に強く、早口でも通じる。しかし豊富で短い語彙が有利な現代社会では、単純な発音のほうが困難を生じやすいのは確かである。
以上から、同音異義語が多いのは、漢字を使うからというより漢字の発音を単純化し過ぎてしまったからだと分かる。恨むなら、漢字を発明した古代中国人ではなく、単純な発音を好んだ昔の日本人を恨むべきだろう。
しかし嘆いていても仕方がない。日本人は自らの文化や宗教を漢字で表現してきたのだから、今さら漢字を捨てて根無し草になるべきではない。同音異義語は書き言葉では全く問題がないので、話し言葉でどうするかを考えていく必要がある。
多くの同音異義語は文脈で区別できるが、同音異義語が同じ範疇(はんちゅう)に属している場合、文脈は役に立たない。例えば「私立」と「市立」はどちらも設立者なので区別できず、「科学」と「化学」はどちらも学問の名前なので区別できない。
話し言葉で同音異義語を区別するには、読み替え、付け足し、言い替えの三つの方法がある。読み替えは漢字の別の読み(主に訓読み)を用いて発音を変え、付け足しは言葉を追加して漢字を説明し、言い替えは別の単語を用いて区別する。私が知っているものを以下に示す。
この内、優れているのは読み替えである。言い替えはいつも可能とは限らないし、付け足しは逆にまぎらわしいことがある。例えば「わたくしのしあん」と言った場合、「私案」ではなく「私の試案」を意味しているかもしれない。それより、「私案(わたくしあん)」、「試案(こころみあん)」と読み替える方が確実である。「こうぼいん」の例は読み替えの必要性を示している。言語学で、舌の位置に応じて母音を高母音、低母音に分類することがある。これらを口の中の広さにより狭母音、広母音とも呼ぶ。高母音と狭母音は同じで、低母音と広母音は同じである。それとは別に、前母音、後母音という分類もある。従って「こうぼいん」と言うと、反対語である「高母音」なのか「広母音」なのか分からないし、あるいは「後母音」なのかもしれない。これはとても不便なので、今では読み替えが一般的になった。すなわち、「高母音(たかぼいん)」、「低母音(ひくぼいん)」、「狭母音(せまぼいん)」、「広母音(ひろぼいん)」、「前母音(まえぼいん)」、「後母音(うしろぼいん)」と読む。
しかし日本では学問間の連係が弱く、読み替えが一部の学問でしか広まらないことがある。言語学では「硬口蓋(かたこうがい)」が広まっているが、医学では「硬口蓋(こうこうがい)」が普通である。また、心臓に酸素を送る動脈を普通は「冠状動脈」と呼ぶが、心臓の専門医は「冠動脈(かんどうみゃく)」と呼ぶ。肝臓は眼中にないので「肝動脈(かんどうみゃく)」と同音衝突しないからである。
「売春(ばいしゅん)」との同音衝突を避けた「買春(かいしゅん)」は法律上の標準の読み方になった。この読み方は「回春」や「改悛」と同音になるので良くないという意見があるが、「買春」が何より同音衝突を避けたいのは「売春」であって、読み替えたために他の語と同音衝突するのはやむを得ない。売春の同義語に「売淫」、「売笑」、「売色」などがあるが、いずれにしろ「売」と「買」を読み分けない限り同音衝突を回避できない。
既に読み替えが定着した語と同じように、他のまぎらわしい同音異義語も徐々に読み替えていくべきだろう。読み替えても表記は変わらないので既存の文書に影響はないし、語彙力も低下しない。むしろ適切な訓読みを選ぶことで理解しやすくなる。「私立(わたくしりつ)」、「市立(いちりつ)」、「化学(ばけがく)」などは読み替えを標準にしてしまっても良いのではないか。

 

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