追わとは?/ マイワン
[ 575] H-Yamaguchi.net: 「利を追わない」は「無駄遣いしていい」ではない
[引用サイト] http://www.h-yamaguchi.net/2007/10/post_7c37.html
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[ 576] Amazon.co.jp: 追わずにいてくれたら (新潮文庫): サンドラ ブラウン, Sandra Brown, 長岡 沙里: 本
[引用サイト] http://www.amazon.co.jp/gp/redirect.html?ASIN=4102425039&tag=comicfitter-22&lcode=xm2&cID=2025&ccmID=165953&location=/o/ASIN/4102425039%3FSubscriptionId=0YX10A1FFBBWVGDZ01R2
突如、ケンドルを見舞った交通事故。おさな子を抱いて這い出した彼女は、死に瀕した同乗の「男」を病院へ運ぶ。記憶喪失に陥った男を夫と偽った彼女は、3人で絶望的な逃亡を開始する。忌まわしい町で目撃してしまった、見てはいけないこと。そして、次第に育まれてゆく、してはいけない恋―。恐るべき秘密同盟の盟約とは?記憶を失った男の正体は?5000万読者を魅了した著者の会心作。 邦題「追わずにいてくれたら」、原題「目撃者」どちらも内容をよくあらわしたタイトルです。ヒロイン・ケンドルが交通事故にあい、病院にいるところから物語は始まる。同乗者の女性は死亡。瀕死の重傷を負い、記憶を失った同乗者の男性を「夫」といつわるが・・ヒロインは何から逃げているのか。何を見てしまったのか。ヒロインが「見てしまった」シーンを読んでいるときは思わず「アメリカってこわーい」と叫んでしまいました。(行くのは都会だけにしよう・・ストーリーもぐいぐいと引き付けられ、寝不足になってしまうこと請け合い。しかも、話が終わったと思ったら、まだトリックがしかけられていて、さすがサンドラ、と唸ってしまった。本当に面白いのでどれを買うか迷ったときはこちらをどうぞ。 何不自由なく見えた新婚生活と、事故で記憶を失った同乗者との奇妙な逃避行、そして彼らを追う者たちの会話とが入れ替わり語られる形式の本作。この著者にしては比較的ヘビーな内容といえる題材を扱っていて、ある種クーンツを思わせる緊迫感が漂う中、主人公ケンドルの親友リキー・スーの人柄とそれにまつわるサブ・ストーリーが妙にユーモラスで・・・。これまた、一味違ったサンドラ作品といえそうだが、読み始めたら止まらなくなるスリルとスピード感はピカイチ。 悲惨な交通事故で奇跡的に助かったケンドルは、事故で記憶を失った同乗者の男を「私の夫です」と説明したにもかかわらず、彼を置いて、3ヶ月の乳児を連れて病院から逃げ出そうとします。いったい彼女は何から逃げているのか?記憶を失った男は誰なのか?過去の幸せな結婚生活と、現在の緊迫した逃避行。二つが交互に語られていき、やがてそれが一つにつながる時、恐ろしい秘密が明らかになります。しかし謎はそれだけではありません。一緒に逃亡している男、さらにヒロインまでもが、それぞれ過去に秘密を抱えているのです。さすがにサンドラ・ブラウン、手に汗握る展開、禁断の恋、個性的なキャラクターなど、最後までたっぷり楽しませてくれます。途中でやめられません、時間がたっぷりある時に読んでください! 焼け付くような愛よりも、サスペンスの色が濃くて、しかもぞっとする相手に追われてしまうケンドル。普通の女性なら精神的におかしくなってしまうかも。ヒロインだけでなく... ※ 「この商品について語る」では、「この商品について語る」ガイドライン等に基づき、評価の高低等にかかわらず、お客様の自由な投稿を掲載しています。商品のご購入の際はお客様自身でご判断下さい。 製品詳細ページやサーチ結果を表示した後、興味のあるページに戻る簡単な方法についてはここを参照してください。右の列には、ショッピングセッションのお役立ち情報が表示されます。 |
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